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[職場だより] 2015年10月27日 東芝再生への道5
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経営改革のもう一つの顔
6. 経営改革のもう一つの顔
1875年(明治8年)創業、140年の歴史をもつ東芝は、
そのほとんどの期間「良い製品を早くお客様に届ける」
というスローガンを掲げ、お客様第一で、企業の社会的
立場をもわきまえた経営を基本方針にして、活動して
きました。
第3章から第5章で報告してきた経営改革
3. 東芝の経営戦略「集中と選択」の内容
4. 東芝の経営戦略商品
5. 2001年9月の大リストラ「01アクション」の内容
には、もう一つの隠れた顔がありました。
それは創業以来の東芝の経営方針を大きく変えて、
「株主に利益を還元する企業に」という、株主第一主義
の方針を強く打ち出したことでした。
株主への配当を増やすことが第一義的になり、目先の
利益を上げる事業ばかりに目を向け、儲からない事業の
切り捨て、工場閉鎖、人減らし解雇を激しく進めました。
利益を上げるためにリストラ、労働条件の切り下げを
容赦なく行う経営を行うようになりました。
人件費の削減、将来の製品開発に使う開発費の削減など
をどんどん推し進め、削り取った費用は、当期
利益として計上し、株主への配当金になりました。
職場では人員の削減で、長時間過密労働が慢性的に続き、
過労によるうつ病などが多発するようになりました。
株主への配当金、役員の報酬は増やすが、社員の賃金
は「成果主義賃金」という名目で据え置かれました。
「株主に利益を還元する企業に」というイデオロギーを、
社内報の「東芝ライフ」や「東芝新聞」を通じて、全社に
宣伝していきました。特に西田社長は、その先頭にたち
ました。その影響で経営陣の中には、目前の利益を上げ
ることが、自己の地位を安泰にすると考えて、行動する
人も出るようになりました。
7. 経営改革のもろさが噴出
東芝は2008年8月まで「集中と選択」の経営方針で、
世界の景気が右肩上がりに好調だったこともあり、
全社的に利益を上げました。
2大事業とし資源(資金や人員)を集中させた、
半導体事業(NAND型フラッシュメモリ)と、原子力発電
事業も順調でした。
世間からも東芝の経営方針は成功例ともてはやされ
ました。
しかし、2008年9月に起きたリーマンショックで
半導体事業(NAND型フラッシュメモリ)が、
2011年3月の東日本大震災で原子力発電事業が、
大きな影響を受けて、東芝の経営はいっきに悪化しま
した。
「集中と選択」の経営方針による分社化は、総合電機
メーカとして各事業部門で支え合う機能を喪失して
しまい、事業環境や景気の変化に弱くなる負の面も
もっていたのでした。
リーマンショック以降の経営悪化を隠すため、粉飾
決算が行われました。最初に手を染めたのは
西田社長でした。次の佐々木社長、田中社長と、3代に
渡って粉飾決算が続けられました。「株主に利益を
還元する企業に」というイデオロギーが、経営者の良心
を蝕んで(むしばんで)いたのかもしれません。
「集中と選択」の経営戦略の負の部分と、「株主に
利益を還元する企業に」というイデオロギーからの脱却が、
東芝の再生の道につながります。次回以降で報告して
行きます。
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