東芝リストラ
★★リストラに関することは、なんでも「東芝の職場を明るくする会」にご相談ください★★
   半導体事業、パソコン事業とあいついでリストラの話が出ています。
   職場から不安や心配の声が出ています。既にいくつかの相談が「明るくする会」によせられています。
   どんなことでもかまいません。不安や心配なこと、困ったことなど、
   遠慮なく「明るくする会」にご相談ください。

   電機情報ユニオン全労連に 相談してもかまいません。親身になって対応いたします。
    ”粉飾決算は、経営トップの責任なのに、なんで俺たちがリストラされなければならないの。”
    ”俺はなにも悪いことをしてないのに、なんでこんなことされるの。” などと、
   職場で労働者の声が上っています。       2015/12/06 東芝の職場を明るくする会


東芝再生への道10

2015年12月18日

12.粉飾決算を止められなかった社風

 今回の粉飾決算を調査した「第三者委員会」の 報告書は、不適切会計の原因の一つに 「上司の意向に逆らえない企業風土があった」と 指摘しています。
 経営トップの無理な利益目標の指示に、異議を 申し立てられず、不正をズルズルと6年間も続けて しまった社風が、問題になりました。

 また、「労働組合は(粉飾決算などが起きない ように、日ごろから会社に対して)何をしていた のですか」という質問もたくさん寄せられました。
そこで、東芝の社風をあらためて検証してみました。

 いまから50年前、1960年代の半ばごろから、 東芝の経営側(会社側)は、労務対策の一つとして、 労働組合法に基づく自主的な労働組合活動を敵視し、 労使協調主義という呼び名の、会社の都合のよいよう に動く労働組合をつくるために、 労働組合を懐柔する方針をとりました。

 会社の意をくむように教育・育てた社員を 労働組合の役員にして行き、労働組合法の 理念に従って、会社から独立して 自主的に労働組合の活動をする社員を、排除 していきました。

 同じく1960年代の後半ごろから、会社は (元)公安警察官を雇い入れて、労務担当にし ました。これら(元)公安警察官の指揮のもとで、 東芝の各工場に社員を監視するための秘密組織 (インフォーマル組織)が作られました。
 インフォーマル組織に入り、監視活動をする 社員は、賃金や資格が上がり、出世につながる という優遇が行われました。

 1974年4月にはインフォーマル組織を全社 統一組織にして、「扇会」と呼ぶようになりました。  各工場の代表が定期的に集まり、合同研修会を 行なったり、「扇会」という機関誌を発行しました。
その内容は、いかにして自主的な労働組合活動を している社員や、(会社が一方的に)会社の意に そぐわないと判断した社員を排除していったかなどの、 反労働組合、反民主主義活動を鼓舞させる ものでした。

 1973年と1975年に東芝本社勤労部が作成した 「左派一般情勢と当社の現状(年間総括)」と いう秘密報告書には、全社37事業所における 問題者総数は「73年…530名」「75年…494名」 と記載し、全社員の思想信条調査を行っている ことを明らかにしいます。

 また秘密報告書の「対策と反省」の項目に、 「PMCD研修(課長候補研修)を主任、課長級に 行うなど、かなりの成果をあげた」と記載し、 職制を使って会社が一方的に問題者と呼ぶ、 自主的な労働組合活動をしている社員や、 会社の意にそぐわないと判断した社員などを、 排除していったことも明らかにしています。

 排除の方法は、賃金、資格、役職などを 異常に低く抑えて、差別しました。さらに、 差別を見せしめにして、他の社員を黙らせ 従わせるという、歴史的に日本の軍国主義 やナチス・ドイツと同類の手法でした。

 東芝は、一般社員にも教育を行い、会社の 意のままに黙って働く社員を作ってきました。 教育施設として、東芝府中工場は相模湖近くに、 東芝青梅工場は奥多摩湖近くに、研修所が ありました。終業後や休日に、社員を研修所に 集めて、泊まり込みで教育が行われました。
 教育内容は、労働組合法に基づく自主的な 労働組合活動の敵視や、個人の自由な考えの抑圧、 会社の意に従って働くことを強いるなど、 人権や法律を無視するものでした。

 その結果「出勤して東芝の門を入ったら 日本国憲法は捨ててこい」と言い放す職制が 生まれるほどでした。
 このような労務管理が続く中で、会社や 上司の意向に逆らえない社風が醸成されて いきました。



東芝再生への道9

2015年11月29日

11.社長のあり方

 粉飾決算は3代の社長のもとで行われました。 「粉飾して利益が出ているようにしてほしい」と、 社外から要請があったわけでも、社内の従業員ら からお願いをしたわけでもありません。社長の 独断で行われた不正でした。
 そこには、目先の利益を上げることが、自己の 地位を安泰にするとの考えが色濃くありました。

●社長就任期間
  2005年6月
   〜   西田厚聰 氏
  2009年6月
   〜   佐々木則夫 氏
  2013年6月
   〜   田中久雄 氏
  2015年7月


(1) 西田厚聰 氏

 東芝は1985年に世界初のラップトップパソコン を発売し、その後ノートパソコン「DynaBook」も 発売しました。一時期はラップトップパソコンの 世界シュアが30%を超える、トップメーカーに なりました。
 1980年代、1990年代パソコン事業は、東芝の 利益を支え、花形部門でした。

 西田氏は営業マンとして、パソコンの成長期に ヨーロッパや米国で、販売営業の仕事をしました。 時流に乗った事業部門で仕事をした西田氏は、運が 良かったと言えます。

 西田氏は技術者として東芝に入ったわけでも なく、パソコンの設計・製造をしている東芝青梅 工場(東京都青梅市)で仕事をしたこともありま せんでしたが、1995年6月、パソコン事業のトップ、 事業部長に就任しました。1997年6月には取締役に なりました。

 ちょうどこの時期、東芝は当時の社長、西室泰三氏 のもとで経営改革に乗り出しました。これがさらに 西田氏の幸運になりました。西室氏の下で働きながら、 社内での認知度、比重を増して、2005年6月に社長に 就任しました。

 2008年8月までは世界の景気が右肩上がりに好調 だったこともあり、東芝の利益は順調に伸びました。 東芝の経営改革は成功ともてはやされ、西田氏は 改革の英雄(えいゆう)といわれました。

 しかし2008年9月のリーマンショックで、経営 改革の負の部分が表面化し、収益はいっきに赤字 に落ち込みました。経営悪化を隠すため、西田氏 は粉飾決算を指示しました。
 しかし、これを止めるために身を挺する役員は いませんでした。西田氏は人事で、イエスマンを 周りに集めたとも言えます。

●西田氏の社歴
 1975年5月 東芝に入社
 1984年3月 東芝ヨーロッパ社 副社長
 1992年4月 東芝アメリカ情報システム社 社長
 1995年6月 東芝 パソコン事業部長
 1997年6月 取締役
 1998年6月 常務
 2000年6月 上席常務
 2003年6月 取締役執行専務
 2005年6月 社長


(2) 佐々木則夫 氏

 佐々木氏は東芝の京浜事業所(横浜市鶴見区)で 原子力発電機などの設計技術者として仕事をして きました。
 一般的な年功序列に従って課長、部長と役職を 上げてきました。

 東芝は2006年2月、米国の原子力関連企業、 ウェスチングハウス社を買収し原子力事業の強化 を図りました。
 この買収に関わったのが、この当時、東芝電力 システム社の社長だった佐々木氏でした。

 買収は西田社長の指示で行われ、西田氏と佐々木氏 は親密になりました。西田氏の引き上げで、 2008年6月副社長、2009年6月社長になりました。

 佐々木氏が社長になることについて、経歴や資質、 リーダーシップなどから、疑問視する意見がありま した。しかし現勢を誇る西田氏の推挙とあって、 そのまま決まりました。

 しだいに佐々木氏の指導力や、リーダーとしての 立ち振る舞い・言動の弱点が表に出て、問題が広が りました。
 1年で西田氏と佐々木氏は対立するようになりま した。権力争いの状態といえます。

 佐々木氏も、自己の地位を守るには、目先の利益を 上げることと考え、粉飾決算を続けました。

 東芝の人事は、社長を4年務めたら、次に会長を 4年務めるのが通例でした。しかし西田氏 (2013年6月当時会長)は、佐々木氏を会長にせず、 副会長といういままでになかったポストを設けて、 佐々木氏を押し込めました。

(西田氏と佐々木氏は、6,210億円でウェスチング ハウス社を買収しましたが、異常な高額だったと 言われ、現在問題になっています。)


(3) 田中久雄 氏

 田中氏は東芝本社の資材調達部門で働いていま した。その後西田氏の出身事業部、パソコン生産 統括センター長になりました。
 西田氏の引き上げもあって、常務、上席常務、 専務、副社長、社長になりました。

 田中氏が社長になったとき、社内には粉飾決算に 終止符が打てるのではとの期待の声がありました。 しかし田中氏にはそれをするリーダーシップがあり ませんでした。

-----------------------------------------

 3代の社長による粉飾決算で、東芝は厳しい 状況に置かれています。社長とはなにか、 リーダーはどうあるべきか、あらためて考え させられました。

 取材のなかで「リーダーはおごらず、控えめに」、 「リーダーとしての立ち振る舞い、言動は適切に」、 「経営方針を出してもらえない」、 「利益を上げろと怒鳴られた」、「社外で話す 原稿を何度も書き直しさせられた」など の話もありました。



東芝再生への道8

2015年11月20日

10. 資源を集中させた戦略商品の検証

 経営改革は、2つの事業に資源(資金や人員)を 集中させて、2つの戦略商品を生産、販売して、利益 を上げる経営方針をとりました。

@ 電子デバイス事業のNAND型フラッシュメモリ
A 社会インフラ事業の原子力発電機

 NAND型フラッシュメモリに資源を集中させたのは、 適切な経営判断で、株主も社員も納得でき、評価され ました。

 しかし原子力発電機は、下記のように、原子力発電 所の事故や、使用済み核燃料の処理が問題で、世界的 には再生可能エネルギーによる発電を増やして行こう という流れが強まっていたのに、戦略商品にしたのは、 異常でした。

----------------------------------------------
・1979年3月28日スリーマイル島原子力発電所事故
・1986年4月26日チェルノブイリ原子力発電所事故

【イタリア】
1987年に国民投票で原発廃止を決定し、当時稼働 していた4基の原発を順次停止し、20年がたちまし た。

【ドイツ】
2022年までに原発の稼働完全停止を決定。

【日本】
原子力発電所から出る使用済み核燃料「核のゴミ」 が増え続け、多くの原子力発電所で貯蔵能力いっぱ いに迫っていました。もうこれ以上原子力発電所を 稼働し続けることは、無理な状況です。
----------------------------------------------

 一事業として原子力発電機を製造するのならまだしも、 東芝の事業の柱にすることに疑問をもつ社員もいました。 「東芝の職場を明るくする会」は、当初から反対を 表明していました。

 どうして原子力発電機は問題がある製品だということが、 社内で議論にならなかったのでしょうか。
それは、東芝は社員に「原子力発電は安全だ」という 教育をしていたからです。原子力発電は安全だという絵入 りのカラーパンフレットも作成し、社員や家族に配布を しました。社員と家族を対象にした、新潟柏崎原子力発電 所見学のバスツアーも実施していました。

 また会社の方針に異議を申し立てられない社風も作って きました。公安警察官OBなどを雇い入れ、秘密労務組織 (インフォーマル組織)の「扇会」を結成し、社員を監視 しました。労働組合で自主的に活動家する社員や、明るく する会の社員を見せしめで、賃金や昇格で差別し、会社に 物言えぬ体制にしました。

 この結果、原子力発電機事業を心配する意見は、押しつ ぶされてきたのです。

 2011年3月の東日本大震災で、福島県女川の原子力発電所が 被害を受けて、原子力発電機から大量の放射能が漏れる 大事故が起き、原子力発電は危険であることがハッキリ しました。

 原子力発電機を戦略商品にして、資源(資金や人員)を 集中させた経営方針は、東芝を苦難に導きました。 誤りでした。

 東芝は、先端の科学技術を利用して電機製品を製造し ていくメーカーです。たえず真理に向き合って、現実の 正しいデータや情報を基にして、モノ作りをしなければ なりません。誤ったデータを使うと判断ミスが起きます。


東芝再生への道7

2015年11月13日

9. 経営改革「集中と選択」の検証

 東芝が1998年から取り組んだ経営改革「集中 と選択」は、巨大化した会社組織を、事業(製品) ごとに分けた分社化が改革の中心でした。

 分けられた会社ごとに執行役員が置かれ、その 役員の判断で会社を運営し、迅速に会社組織が 動けるようにしました。

 大きな組織は、どうしても動きが遅くなりますから、 小さな組織に分割して、小回りが利くようにする ことは、一般的に行われている組織改革の一手法です。

 東芝の経営改革「集中と選択」は、初期の期間は 良い効果がたくさん出ました。

 事業環境の変化にも素早く対応できるようになりま した。

 また1875年(明治8年)に創業し、百数十年操業して きた東芝には、今の時代で見れば非効率な部分、 無駄な部分も残っていました。経営改革のなかで それらの部分を見直し、改善や切り捨てを実行を しました。それによって、プラス方向に利益を押し 上げました。

 なんといっても2001年から2008年のリーマン ショックまでは、世界の景気が右肩上がりに 好調でした。

 このような要因があったので、東芝は利益を 上げ続け、経営改革の成功例としてもてはやさ れたのです。


   2008年のリーマンショックで経営がいっきに 悪化したのは、成功といわれた経営改革が、 実は事業環境や景気の変化に弱い体質の会社を 作っていたのです。

 会社が利益を上げるためにとった項目のなかに、 将来のための研究開発費、技術習得費を減らす、 社員の人件費を削る、儲けの少ない事業を切り 捨てることなどがありました。その結果、会社の 体力は弱まるばかりでした。

 初期の段階では、経営改革「集中と選択」が 始まるまでに蓄積されていた技術やノウハウ、 人的つながりもなども残っていましたので、 事業活動ができましたが、時間と共にそれらを 使い果たしました。

 そんなことは分かっていたのに、なぜ修正 できなかったのでしょうか。それは分けた会社 ごとに独立採算で利益を上げることを強く要求 されていたからです。3半期(6ヵ月+6ヵ月+6ヵ月) 赤字が続けば、分社が取り潰されるという厳しい ものでした。

 また経営改革で、トップの社長が大きな権力を 握り、方針をトップダウンでおろす(押しつける)。 役員や経営幹部は、自分の意見を述べられず、 従うしかない、そういう側面も強くなりました。

 役員や経営幹部の中には、目前の利益を 上げることが、自己の地位を安泰にすると考えて、 自分が役員の間だけは利益があがるように 経営し、行動するものも出ました。 会社の将来は置き去りにされました。

 リーマンショックで悪化した東芝の経営を、 西田、佐々木、田中と続いた3社長が粉飾 決算で隠し続けたため、「集中と選択」の 経営改革の負の部分が、明るみに出るのに 6年もの年月がかかりました。



東芝再生への道6

2015年11月01日

8. 経営をゆがめたイデオロギーから脱却を

 東芝が2000年代に社内に持ち込んだ「株主に 利益を還元する企業に」というイデオロギーは、 1990年代に世界に広まり、特に米国と日本に まん延した経営理論でした。

 出どころは「新自由主義」という経済理論 です。企業は株主のものという主張(株主資本 主義と呼ばれる)をかかげて、目先の利益に 執着する経営を行います。
 現在の大企業の主要な株主は、機関投資家 といわれる金融資本です。目先の利益・配当を 目的に株主になり、儲からなくなったら手を 引き(株を売り払う)、儲かる企業に移動し ます(投資を移す)。

 株主資本主義では、四半期(3ヵ月)ごとに 経営状況を発表します。そのつど株価が大きく 上下するようになります。経営者は目前の 3ヵ月に確実に利益を上げることを要求されます。

 今回の東芝の粉飾決算でも、パソコン事業が 利益を上げているように見せかけるため、3ヵ月 ごとの経営状況の発表が近づくと、製造委託会社 に部品を高く売りつけ、帳簿上で利益を計上し、 発表が終わると買い戻すという手法をとっていま した。

 東芝の経営者も目先の利益を上げるため、儲け の低い事業をどんどん切り捨てるリストラを行い ました。将来のための研究開発費、技術習得費も 削減し、社員の賃金、福利厚生費も削りました。 その分を当期利益にまわし、株主の配当金にしま した。

 研究開発費、技術習得費を削減した東芝は、 イノベーション(新しい製品やサービスを生み出す 技術や手法)を起こして、会社を持続させると 宣伝しました。

 イノベーションは、これまでの技術の集大成の うえに生まれてくるものです。将来どの事業・製品で、 イノベーションが生まれるかは分からないのです。
 ところが東芝は、儲けの低い事業をどんどん切り 捨てたため、イノベーションを生む土壌を狭め失って しまいました。

 社員に対してイノベーション研修が行われるてい ますが、「現実には人員も、予算もないので、精神 論で終わっている」との声があがっています。 設計部門の社員は「当面する製品の設計に追 われ、毎日遅くまで残業で、これではイノベーショ ンを考える余裕がない。」と言っていました。

 商品(事業)は、成長期、安定期、衰退期と いうサイクルを持って、必ず終えんがおとずれ ます。
 いま儲かっている商品(事業)をやっている だけでは、会社の持続的成長は見込めません。
東芝を愛して、東芝の株を持っていただいている、 多くの株主の利益に反する状況が生まれます。

 「株主に利益を還元する企業に」というイデオロギー が持ち込まれてから、東芝の経営はゆがんでしまい ました。東芝再生を図る上で、このイデオロギーから の脱却が求められています。


●「新自由主義」経済理論は、自民党政治によって、 日本の国の政策にも持ち込まれました。自由競争、 市場原理主義を掲げて、規制緩和、社会保障・福祉 の切り下げが行われました。
 結果は、格差社会と呼ばれる貧富の差が広がり、 国民の所得は減り、貧困層が増大しました。治安も 悪化しました。周知の事実です。



東芝再生への道5

2015年10月27日

6. 経営改革のもう一つの顔

 1875年(明治8年)創業、140年の歴史をもつ東芝は、 そのほとんどの期間「良い製品を早くお客様に届ける」 というスローガンを掲げ、お客様第一で、企業の社会的 立場をもわきまえた経営を基本方針にして、活動して きました。

第3章から第5章で報告してきた経営改革
 3. 東芝の経営戦略「集中と選択」の内容
 4. 東芝の経営戦略商品
 5. 2001年9月の大リストラ「01アクション」の内容
には、もう一つの隠れた顔がありました。

 それは創業以来の東芝の経営方針を大きく変えて、 「株主に利益を還元する企業に」という、株主第一主義 の方針を強く打ち出したことでした。

 株主への配当を増やすことが第一義的になり、目先の 利益を上げる事業ばかりに目を向け、儲からない事業の 切り捨て、工場閉鎖、人減らし解雇を激しく進めました。 利益を上げるためにリストラ、労働条件の切り下げを 容赦なく行う経営を行うようになりました。

 人件費の削減、将来の製品開発に使う開発費の削減など をどんどん推し進め、削り取った費用は、当期 利益として計上し、株主への配当金になりました。

 職場では人員の削減で、長時間過密労働が慢性的に続き、 過労によるうつ病などが多発するようになりました。
 株主への配当金、役員の報酬は増やすが、社員の賃金 は「成果主義賃金」という名目で据え置かれました。

 「株主に利益を還元する企業に」というイデオロギーを、 社内報の「東芝ライフ」や「東芝新聞」を通じて、全社に 宣伝していきました。特に西田社長は、その先頭にたち ました。その影響で経営陣の中には、目前の利益を上げ ることが、自己の地位を安泰にすると考えて、行動する 人も出るようになりました。


7. 経営改革のもろさが噴出

 東芝は2008年8月まで「集中と選択」の経営方針で、 世界の景気が右肩上がりに好調だったこともあり、 全社的に利益を上げました。

 2大事業とし資源(資金や人員)を集中させた、 半導体事業(NAND型フラッシュメモリ)と、原子力発電 事業も順調でした。

 世間からも東芝の経営方針は成功例ともてはやされ ました。

 しかし、2008年9月に起きたリーマンショックで 半導体事業(NAND型フラッシュメモリ)が、 2011年3月の東日本大震災で原子力発電事業が、 大きな影響を受けて、東芝の経営はいっきに悪化しま した。

 「集中と選択」の経営方針による分社化は、総合電機 メーカとして各事業部門で支え合う機能を喪失して しまい、事業環境や景気の変化に弱くなる負の面も もっていたのでした。

 リーマンショック以降の経営悪化を隠すため、粉飾 決算が行われました。最初に手を染めたのは 西田社長でした。次の佐々木社長、田中社長と、3代に 渡って粉飾決算が続けられました。「株主に利益を 還元する企業に」というイデオロギーが、経営者の良心 を蝕んで(むしばんで)いたのかもしれません。
 

 「集中と選択」の経営戦略の負の部分と、「株主に 利益を還元する企業に」というイデオロギーからの脱却が、 東芝の再生の道につながります。次回以降で報告して 行きます。


東芝再生への道4

2015年10月19日

5. 2001年9月の大リストラ「01アクション」の内容

 経営環境の変化に対応し、経営体質のさらなる変化を 加速させるためにリストラを行い、
  @競争力強化
  A軽量化経営 
  B本社イニシアチブ
 を推進した。

5.1 競争力強化
 主力事業として3本柱を決める。
 「デジタルプロダクツ事業」 および 「電子デバイス 事業」の 成長事業領域 と、
 「社会インフラ事業」の安定事業領域 との 両方を主力 事業ドメイン(領域)に持ち、これらを基幹事業として、 高い収益性を安定的に確保する。

●デジタルプロダクツ事業
 ノートパソコン、ハードディスク(HDD)、液晶テレビ、 会計レジ、複写機

●電子デバイス事業
 半導体、小型燃料電池、医療のDNAチップ、中小型 液晶ディスプレイ

●社会インフラ事業
 原子力発電機、絶縁開閉装置、電車、自動改札機、水道 監視システム、エレベーター・エスカレーター、特許情報 検索システム、遠隔監視システム、医療機器、CT、X線診断 システム、超音波診断システム


5.2 軽量化経営
 ・競争力強化のための海外生産拠点の拡大
 ・アウトソーシング(生産委託 EMS)の拡大
 ・国内生産拠点の統廃合
   2003年までに30%を統廃合
 ・東芝グループの国内従業員14万8千人から
     1万7千人を削減、 1万人を配置転換


5.3 本社イニシアチブの強化
 ●東芝グループの調達コストを2年間で20%(5,600億円) 削減
  ・調達先6,750社を半減する。
  ・電子商取り引きでの調達を拡大する。

 ●経営変革運動(品質向上運動、小集団活動)による経営
 品質の向上
  ・2001年度利益創出額2,370億円の達成
  ・経営変革運動の常態化による新たな企業風土の定着


東芝再生への道3

2015年10月11日

3. 東芝の経営戦略「集中と選択」の内容
                   (1999年当時)

 総合電機メーカとして続けてきた事業を4つに分類し、 資源(資金や人員)の再配分を行った。
 ・資源を集中させる分野
 ・規模拡大は求めずに収益を確保する分野
 ・アライアンス(協同)・合併などで存続していく分野
 ・撤退すべき分野


●社内カンパニーにした事業
 「東芝」に残すが、それぞれを独立採算制で経営する。

 @ モバイルコミュニケーション社
    …携帯電話機
 A デジタルメディアネットワーク社
    …ハードディスクドライブ(HDD)、液晶テレビ
 B PC&ネットワーク社
    …ノートパソコン
 C セミコンダクター社
    …半導体
 D ディスプレイ・部品材料統括
    …小型燃料電池、医療のDNAチップ
 E 電力システム社
    …原子力発電機
 F 電力流通・産業システム社
    …絶縁開閉装置、電車
 G 社会システム社
    …自動改札機、水道監視システム


●東芝グループ会社にした事業

 ・東芝テック株式会社
    …会計レジ、複写機
 ・東芝モバイルディスプレイ株式会社
    …中小型液晶ディスプレイ
 ・東芝エレベータ株式会社
    …エレベーター・エスカレーター
 ・東芝ソリューション株式会社
    …特許検索システム、遠隔監視システム
 ・東芝メディカルシステムズ株式会社
    …医療機器、CT・超音波診断システム
 ・東芝コンシューマHD株式会社
    …冷蔵庫、洗濯機、掃除機、炊飯器


●アライアンス(協同)・合併、撤退の事業

 1998年 5月…芝浦製作所の事業再編 モーターなど

 1999年 1月…複写機事業を東芝テック(株)に移管

 1999年 4月…空調設備事業部門を分離し、
       「東芝キヤリア株式会社」を設立

 1999年  …東芝硝子(株)を旭硝子(株)の傘下に

 1999年  …金融機関向けのATM事業を沖電気(株)に譲渡

 2001年12月…半導体メモリ・汎用DRAMの製造及び販売を終息


4. 東芝の経営戦略商品

 特に2つの事業に資源(資金や人員)を集中させて、 2つの戦略商品を生産、販売して、利益を上げる経営 方針をとった。

@ 電子デバイス事業
  ◆半導体…NAND型フラッシュメモリを主力製品にする。
       携帯電話、デジカメ、SDカードなどに使われる。

99年12月…NAND型フラッシュメモリ事業の将来性に着目し強化を計る。

04年 6月…メモリ事業の主力工場である四日市工場への投資額を増額し、
NAND型フラッシュメモリの製造棟を建設。
製造装置も含めた新製造棟にかける資金総額は、2006年までの4年間で、
約2,700億円の計画。

10年 7月…四日市工場へ8,000億円の投資


A 社会インフラ事業
  ◆原子力発電機を主力製品にする。

06年 2月…ウェスチングハウス社株式取得による原子力事業の強化。
      取得額は6,210億円

 米国…32基以上の新設計画… 8基受注済み
 中国…50基以上の新設計画… 4基受注済み
 日本…今後12基の新設計画… 電源開発(株)青森県大間で着工

 英国、フィンランド、インド、東南アジア他で新設計画 … 受注獲得活動推進


東芝再生への道2

2015年10月5日

1. 東芝の苦悩

 日本の電機産業は1950年代から70年代まで急成長を 続けてきました。80年代に入ると、生産性の向上で 製品の慢性的供給過剰状態による販売競争の激化や、 韓国、台湾、中国など世界の電機メーカとのグロー バル競争にさらされ、競争に負けるメーカが出るなど、 厳しい経営状況になりました。

 メーカ間の競争激化は、東芝の経営も厳しくして いきました。1995年度から利益が減少をたどり、 ジリ貧状態におちいりました。すべての事業が落ち 込みました。

 利益    億円
 1996-03  2,626
 1997-03  1,978
 1998-03   823
 1999-03   305

                     
1998年9月 西室社長(当時)の発言

 1998年度上半期は、単独の売上高、経常損益とも、 残念ながら大幅な減収減益となりました。しかし、 この厳しい事業環境の中でも、業績を上げている 同業他社もあるわけですから、事業としての対応力 あるいは戦略面で、われわれにも問題があったこと は認めざるをえません。

 要するに、「もう1年頑張らせてください」、 「わかった、あと1年だけだぞ」を繰り返す体質 から抜けられなかったわけです。

 そうですね。今後、エレクトロニクス業界は、 否応なくグローバルコンペティション(世界規模の 競争)に突入します。その認識をもとにした場合、 エアコン、冷蔵庫、洗濯機などの白物家電や重電には、 これまで国内での収益が確保できてきた甘えがあ ります。

 国際化への対応を急がねばなりません。同様に、 「東芝」というブランドへの信頼感が意識せずとも 確保できた時代は終わったと思います。これからは グローバルな市場で「TOSHIBA」ブランドを意識的に 高めるアプローチが必要になってくるでしょう。
 

2. 東芝 経営改革に着手

●1998年06月
「集中と選択」の経営を始める。
執行役員制度を導入し、取締役を33名から12名に 削減した。製品ごとの事業運営は、執行役員に よって迅速な意思決定が可能となるように、本社 からの権限を委譲した。

●1999年04月
社内カンパニー制にして、自主責任経営体制を整備

●2001年
  ITバブルが崩壊し経済不況になる。

●2001年09月
「01アクション」と呼ぶ大リストラを実施
 (日本国内の雇用は、「就職氷河期」が起きる。)

●2003年03月
中期経営計画を策定…主力事業の3本柱を強化

●2004年06月
NAND型フラッシュメモリに2,700億円の投資

●2006年02月
ウェスチングハウス社買収

【資料】グローバル競争の厳しさを見る

●白物家電、半導体
日本製品の世界シュア
      1985年→2003年
録画再生機 82.9 → 32.9 %
電子レンジ 64.6 → 27.6 %
テレビ   46.5 → 33.7 %
半導体   42.0 → 28.0 %

・アナログ時代は、部品同士を組み合わせて調整し、 高品質の製品を作る能力をもつ、日本のモノづくりの 強さが発揮できた。

・製品のデジタル化、モジュール化の進展は、世界中 どこでも同じ品質でモノが作れるようになった。
   その結果、賃金が安い国で、同じ品質の製品が作れるなら、経済の 市場競争原理が働き、企業は賃金が安い国に生産を移転する。


●ハードディスク (HDD)

              2008年10〜12月時点
1 シーゲート      米国  31.7 %
2 ウェスタンデジタル  米国  26.0 %
3 日立IBM (HGST)  日本  17.1 %
4 東芝         日本  17.0 %
5 サムスン       韓国  8.2 %

・現在、日立IBM、サムスンは、ハードディスク事業 から撤退してしまいました。

・近い将来ハードディスクは、SSD (半導体のフラッシュメモリ) に取って代わられる。そうすると従事している労働者の失業問題が 起きる。


●携帯電話

2009年8月時点のデータ

・2008年度 携帯電話販売台数シュア
  シャープ  22 %
  パナソニック   17 %
  NEC   12 %
  富士通   10 %
  東芝     8 %
  ソニー    8 %
  カシオ    5 %
  京セラ    5 %
  日立     4 %
  アップル   2 %
  三菱電機  08年撤退

・2009年4〜9月の販売予想台数は1,680万台でした が、メーカーの生産能力は合計で4,000万台にも なり供給過剰状態が続いていました。

・東芝のシュアは、2005年度は1位でしたが、 2006年度は2位、2007年度3位、2008年度5位と下がり 続けました。
2010年10月に携帯電話事業を富士通に 売却しました。


東芝再生への道1

2015年9月27日

東芝再生への道

 2015年4月、東芝の粉飾決算が明るみに出ました。 毎年度末の決算報告を不正に処理して、7年間で 1,500億円を超える利益の積み増しを行っていました。
 赤字の事業を、黒字に見せかけ、利益が上がって いるように報告し、7年間も続けて来たため、事業の 継続、資金繰りなどは、危機的状況におちいっています。
 東芝・東芝グループ会社で働く20万人の社員は、 「寝耳に水」で職場に衝撃が走り、「会社がつぶれる?」 と不安が広がりました。

    東芝の職場を明るくする会は、職場の社員の声、率直な意見を聞きました。
    それらを集めて、粉飾決算へ走った要因や東芝再生への課題を考えてみました。
    ホームページで何回かに分けて報告していきます。
    東芝再生の一助になればと願っています。
                     東芝の職場を明るくする会 代表 石川要二郎

総合電機メーカを製品ごとに分社化

 1990年代後半から2000年代前半にかけて東芝は、 「集中と選択」というスローガンを掲げて、総合電機 メーカとして一つでやってきた経営を、製品(事業部門) ごとの会社に分けて(分社化)、各社が独立採算制で 事業を行うように、大きく経営方針を変えました。
 この経営方針は、2008年8月までは世界の景気が 右肩上がりに好調だったこともあり、順調でした。 この当時の社長は西田厚聰氏でした。

 分社化は、総合電機メーカとして各事業部門で 支え合う機能を喪失してしまい、事業環境や景気の 変化に弱くなりました。
 2008年9月のリーマンショックで、半導体事業が、 2011年3月の東日本大震災で、原子力発電事業が 大きな影響を受けて、経営はいっきに悪化しました。 この当時の社長は佐々木則夫氏でした。

 2008年9月のリーマンショック以降の経営悪化を 隠すため、粉飾決算が行われるようになりました。 2013年に田中久雄氏が社長になりましたが、粉飾 決算は続けられました。

東芝の社長
1996年6月 西室泰三 氏
2000年6月 岡村 正 氏
2005年6月 西田厚聰 氏
2009年6月 佐々木則夫 氏
2013年6月 田中久雄 氏
2015年7月

東芝の売り上げと利益をグラフで示します。
(総合電機メーカを製品ごとに分社化する なかで、粉飾決算が起きました。分社化の 経営方針が悪かったとは一概に言えません。 職場の声や意見を聞くと、防ぐことはできた と思うことがたくさんありました。それらの 意見を元に、次回以降報告を続けます。)



粉飾決算5

2015年9月6日

何も知らされない社員

 今回の粉飾決算問題で、社員にはいまだに会社から 何の説明も行われていません。
 取引先や社外関係者から問い合わせを受けた場合は、 東芝のホームページに掲載されているので、そちらを 見てていただくように、指示されています。

 新聞、テレビ、経済雑誌などで報道されている内容 で、粉飾決算の概要を知るのが、いまの社員の置かれて いる状況です。

 「パソコン事業はどうなるんだろう。」、「東芝林間 病院はどうなるんだろう。」不安から、さまざまなうわさ が流れています。

 新社長の室町さんが「不採算事業は見直す」と記者会見 で発言したので、不安はさらに広まりました。

 今回の不正は経営側の役員が起こした問題なのに、その つけを社員が負わされるのはひど過ぎるとの声が上がって います。



役員報酬

2015年8月16日

役員報酬 総額17億2800万円

 東芝の役員(取締役、執行役)61名の報酬は、2013年度 (2013/4〜2014/3)は総額で 17億2800万円でした。
1人平均で 2833万円です。

 報酬額が1億円を超えたのは 3名で、西田氏、佐々木氏、 田中氏です。3名の合計は3億4300万円になり、役員報酬全体 の20%で、役員報酬が集中しています。

  ・西田 厚聰 1億2700万円
  ・佐々木則夫 1億 400万円
  ・田中 久雄 1億1100万円


 見方を変えれば、3名に企業経営を行う執行権(指揮・命令権) が大きく集まっているということです。
指揮・命令権の集中は、権力の集中ですから、企業を集団的英知 で運営していく体制を壊しかねません。

                      東芝の職場を明るくする会


粉飾決算4

2015年8月8日

職場からよせられた声の特集

 粉飾決算について、職場からたくさんの意見が よせられました。
それらを箇条書きでお知らせします。同じような 意見は、その中の代表的なものを記載しました。

 これらの意見について、今後取材を行い、随時 お知らせしたいと考えています。

●東芝は、社内の問題を内部通報で処理する仕組み 持っています。今回の問題では、内部通報システム は機能したのですか。

●銀行から約6,000千億円の追加融資を受けとの話を 聞きました。その場合、銀行からリストラの提案が 出るのではと心配しています。

●粉飾決算が原因で、社員はどうなるのかな。 何かリストラが行われるのか不安です。

●今回の問題で、東芝の下請け会社には、 どのような影響が出るのかな。

●粉飾決算に対する世間の風当たりが強くて、 東芝マンとして、肩身が狭いです。

●東芝株を、社員持ち株制度で勧められて購入して います。株価が下がり損失が大きいです。
「私は約300万円の損失です。」
「私は200万円です」

●退職金をつぎ込んで、会社に委託・運用して もらっている年金は、どうなるのか心配です。

●社長、副社長、財務担当の役員、パソコン担当の 役員が責任をとって辞職するのだから、この粉飾決算 は重大な問題だなあと、あらためて思いました。

●私たち社員は、遵法(じゅんぽう)教育を受けて、 法律を守って仕事をするように、厳しく言われています。
会社のトップが法律を破るとは思わなかった。

●2006年2月に、原子力事業会社のウエスティング・ハウス社 を買収したとき、買収を担当したのが佐々木さんで、その論功行賞 で佐々木さんが社長になった。
社長としての資質が適正なのか疑問をもっていた。

●東日本高速道路(NEXCO東日本)など(前の日本道路公団)の、 高速道路の料金自動収納システム(ETC)設備の工事案件の 会計処理が、不正だったとして上げらて驚いた。
日本道路公団時代から、このようことは、行われていたし。公共 企業なので、予算で仕事をしなければらないので、来期の予算で 処理する場合もあるからね。

●私の職場(事業)でも予算達成のため、操作して売り上げを 立てたことはありました。

●2001年のリストラ以降、必要な時間をかけたモノ作りが できなくなった。
新製品を作り上げるのは1年はかかる。短期間で結果を出せ、 売上を計上せよとせまられる。短い無理な工程で設計、製造 するから品質が悪くなる。

●売り上げを立てるため、出荷試験・検査が終わっていない 製品を無理に納品して、後で品質トラブルを起こしてしまった。

●2006年に、原子力発電プラント向け流量計の試験データの 改ざん問題を起こしました。これも試験で社内基準をクリア していないのに出荷したから。

●開発費が削られ、開発期間が短くて、東芝独自で開発する 製品が作れなくなってきた。他社メーカーの新製品をコピーして、 類似製品を作ったりしている。

●組織をカンパニー制にしたのが問題、総合電機メーカの 強みが発揮できない。

●3期(6ヶ月+6ヶ月+6ヶ月)赤字が続いた事業は、 存続するか、つぶすかの検討委員会にかけられる。

●事業を他社に売却したとき、以前は売却先の会社に出向して、 数年で東芝に戻ってこれた。銀行の自動預金支払い端末を 沖電気に売却したときなども、そうだった。

いまは戻れない。2010年に携帯電話事業を富士通に売却した とき、そのまま富士通の社員になってしまった。

●東芝の社風は、学歴偏重で、学閥がある。
組織には、多様な意見が必要なのに、意見をハッキリ言う人は 敬遠される。職場に多様な意見を受け入れる余裕がない。

●1年に4回、四半期ごとに収支報告をするようになったが、 業務が増えてたいへん。
日本の商習慣に合わない。
ヨーロッパや米国は即現金取引なのに、日本は手形取引で 支払いは3ヶ月後である。

●東芝は、東京・浜松町の本社ビルを、野村不動産に売却したし、 川崎の小向事業所の前にある東芝ロジスティックの土地も、 売却した。お金がなくて、キャッシュフローが厳しいんだね。


粉飾決算3

2015年7月26日

東芝の職場を明るくする会の見解

 東芝の粉飾決算、会社幹部の経営姿勢の問題が 連日ニュースになっています。明るい会には以前 から西田氏、佐々木氏、田中氏の経営について 意見がよせられていました。

 明るい会は、労働者の労働条件を守り・向上さ せる、働きやすい職場をつくることを目的に活動 しています。

 したがって、西田氏、佐々木氏、田中氏の経営に ついての意見は、慎重に取り扱いました。特に注意 したのは、西田氏と佐々木氏の確執、権力争いが起 きていましたので、明るい会がホームページやビラ などに記載した記事が、片方を利するようことに なってはいけないからです。

 2013年6月に社長が佐々木氏から田中氏に交代した ときも、明るい会は原則的立場で報道しました。

 引き続き明るい会は、労働者を守るために全力で 活動します。
   東芝の職場を明るくする会 代表 石川要二郎


●補足
西田氏、佐々木氏、田中氏の経営と職場

 「株主に利益を還元することを第一にする」と強く 打ち出し、目先の利益を上げることに目を向け、儲から ない事業の切り捨て、リストラをするするという経営 方針を推し進めたのは西田氏でした。

 佐々木氏が社長のときは、佐々木氏は短期、中期、 長期の経営ビジョンを示せず、会議では「ただ利益を 出せ」と怒鳴りつけるだけだと、カンパニー社の役員 やグループ会社の役員から、苦難の声が上がっていま した。

 社長が佐々木氏から田中氏に交代したとき、これで 東芝を正常に戻したいと期待の声も上がりました。 しかし改善は進まず、目先の利益を出せとの追及は、 グループ長(課長)にまで厳しく課せられました。


社長人事について再録

2015年7月25日

2013/07/21に明るい会は、社長人事について、
以下のような見解を発表しました。

「東芝の社長交代がマスコミで話題に」

 このほど行われた株主総会で、社長が佐々木氏 から田中氏に交代しました。また西田会長が留任し、 佐々木氏は副会長になりました。

 これまでの東芝の人事は、社長から会長へ、その 次は相談役になっていくのが通常の流れになていま した。したがって今回の人事は異例のことです。

 2年ほど前から「デジタルプロダクツ事業の将来 方針が出せていない」、「社長と事業部幹部との間が スムースでない」などの意見が、職場で話されていま した。明るい会にもいろいろと意見がよせられてい ました。

 たしかに社長の資質によって、会社経営が混乱する こともあると思います。そのようなことが起きたら 取締役会や、事業部幹部の努力によって是正していく のが理に合った道です。会社経営は、取締役会が責任 をもって行っているからです。

 また労働者の労働条件や会社経営の方針などについ ては、経営者(取締役会)と労働者の代表(労働組合) の交渉によって決めていくのがルールです。

 明るい会は以上のような原則に立って、今回の問題で 職場からよせられていた意見を、ホームページに記載する ことを見合わせました。また誤解が起きないように、 慎重に対応しました。


粉飾決算2

2015年7月15日

株主中心の経営の見直しを!

 2000年代に入って東芝は、「株主に利益を還元する 企業に」という経営方針を強く打ち出し、利益を上げ るためにリストラ、労働条件の切り下げを、どんどん 行う会社になってしまいました。
 目先の利益を上げる事業ばかりに目が向き、儲から ない事業の切り捨て、工場閉鎖、人減らし解雇を激しく 進めてきました。

 結果は、株主への配当金も、役員の報酬も大きく増え ました。それと比べて労働者の賃金は変わりませんでした。
「株主に利益を還元する企業に」をスローガンにかかげた 最初の7年間のデータ(2001年度→2007年度比較)
 ●配当金   3.35倍
 ●役員給与  1.32倍
 ●人件費   0.94倍
 リストラは、会社の管理職不足や技術力低下などの 問題を起こしてしまいました。
中堅技術者は次のように言っています。「いま 世の中では各社が競って電池の開発を進めてい る。東芝にも以前“東芝電池”というグループ会 社があって、電池に関するノウハウを持っていた。 リストラでつぶしてしまい、電池技術が必要な時 に、何も残っていない。」

 いま東芝は粉飾決算でゆれています。利益を上げ ることばかりが要求された結果、歪んだ経営におち いってしまったのです。
元経営幹部は「将来必要になる技術を育てようと 思っても、それらの投資人件費は削られて何もでき ない。」、「人件費が削られるので、派遣社員を 雇って使ったが、その仕事が終われば派遣社員は いなくなる。会社に技術やノウハウが残らない。」 と言っていました。
             東芝の職場を明るくする会


職場のつぶやき4

2015年7月5日

遠い転勤先

 今年の3月、東芝のある設計職場の話しです。 職場には約100人が机を並べて働いています。

 30代のKさんが、部長に呼ばれました。
「君に、○○に転勤してもらいたいですが。」

 この設計職場が担当している製品の売れ行きが思わ しくなく、人数を減らすとの噂は、以前からありました。
Kさんに示された職場は、いまの職場から700kmも離れ ています。Kさんは「僕はそんな遠いところには行け ない」と部長に言いました。

 それから毎日のようにKさんと部長の話し合いが続き ました。部長は「転勤先は会社が決めて、指示なんだ。 ほかに行く場所はないんだ。」と部長の力ではどうにも ならないと、ひっしに説得を続けています。

 Kさんと部長の話しを、職場の労働者は、じっと固唾 を呑んで聞いています。すでに転勤の内示を受けた労働者 がつぶやきました。「強制なんだよね。行けなければ 会社を辞めるしかないだよね。」
             東芝の職場を明るくする会


職場のつぶやき3

2015年6月28日

青梅市議会議員選挙
      生産の海外移転のため得票数が減少

 4月22日投票で青梅市議会議員選挙が行われ、 今回も東芝青梅事業所の元労働組合委員長 が立候補して、1971票を獲得して当選しました。
選挙事務所は、青梅事業所の敷地内に作られ、東芝 の全面支援で選挙を行いました。

 青梅事業所でコンピューターやパソコン、ハード ディスクを盛んに製造していたころ(1975〜2000年ごろ) は、従業員も下請け会社もたくさんいました。
そこへ経済的に強い立場を利用して、投票の依頼をした ので、得票が3500票にもなったときもありました。

 パソコン、ハードディスクの生産が、海外に移るに 従って、従業員も下請け会社も減り、それに比例して 得票も減り続けています。

 「企業ぐるみ選挙も曲がり角だね」とつぶやきが 出ました。
             東芝の職場を明るくする会


東芝うつ病裁判

2015年6月22日

和解協議で引き延ばしを図る東芝

 東芝深谷工場で、液晶開発技術者として働いていた U.Sさん(当時30才代)が、長時間、過密労働 が原因でうつ病を発症してから14年が経過しました。
 職場で働く同僚2人が過労死自殺するという悲惨で 過酷な労働環境でした。
 東芝はU.Sさんのうつ病を、労災にすることを 拒否するというひどい態度をとりました。

 やむなくU.Sさんは、労災認定を求めて裁判を起こ しました。
裁判所は地裁でも、高裁でも、最高裁でも うつ病は、長時間、過密労働が原因と認定し、東芝は 敗訴しました。

 現在東京高裁で和解協議が行われています。昨年 6月9日から始まった和解協議は9回になりますが、 いまだに和解にいたっておりません。会社側がズルズル と引き延ばしているからです。

 U.Sさんは、早期の和解、解決を求めています。 皆さんのご支援を心からお願いします。
     東芝の職場を明るくする会 代表 石川要二郎



粉飾決算

2015年6月14日

青梅事業所OB会延期

 6月10日(水)に予定されていた
「東芝青梅事業所 第37回青梅会(OB会)総会」 が延期されました。
 青梅会(OB会)は、青梅事業所(青梅工場)を 退職した社員が加入する組織です。毎年6月に定期 総会を開催してきました。

 延期の理由は「東芝の会計処理問題で第三者委員 会の調査が行われていることを鑑みて、やむなく 延期」するとのことです。

 「総会では、必ず粉飾決算についての質問が出る だろう。その場合、会社(青梅事業所)側からは何も 答えられないだろう。」
 「その場合、総会が紛糾するかも知れないね。」
 「それを恐れて延期したんでしょう。」
 「妥当な判断だと思うけど。」

 青梅会(OB会)総会の延期についての声を聞き ました。
                  東芝の職場を明るくする会


職場のつぶやき2

2015年6月2日

ボーナス(一時金)はどうなる

 会社が粉飾決算をしていたことで、職場に不安が 広がっています。

 こんどの夏のボーナス(一時金)について、会社 から「仮払いで支給はする」との話がありました。

 東芝のボーナス(一時金)は業績連動型で、会社 の利益が出れば決められた比率で支給する。会社が 赤字だとほんのわずかしか支給されません。
(基本原則の)労使交渉で決める方式になっていな いのです。

 粉飾決算問題が解決して、会社の収益が確定しな いとボーナス(一時金)の金額は決まらないと、会社 は説明しました。

 それを聞いた職場の労働者から、「ボーナスでなく て、会社から一時的に金を借りるということか。」 「後で返さなければならなくなるんだ。」という声が 上がりました。

 「会社がすごく儲かったときでも、ボーナスが思った ほど、たくさんもらえなかったのに。」「粉飾決算は 俺たちの責任ではないのに。」とつぶやきがありました。
                  東芝の職場を明るくする会


職場のつぶやき1

2015年5月31日

携帯電話事業で富士通に転籍した課長が退職

 いまから4年半前、東芝は赤字経営におち いっていた携帯電話事業から撤退するため、 富士通に携帯電話事業を譲渡しました(2010年 10月1日付け)。そのとき300人前後の労働者が 富士通に転籍しました。

 転籍当時は、富士通の携帯電話事業は、まだ 順調でした。しかし、しだいにiPadやスマートフォン の時代になり、海外メーカとの競争激化、普及の 飽和による需要数の減少などで、富士通の携帯電話 事業も厳しくなってきました。

 1年半ほど前から富士通でも携帯電話事業の人員 削減が行われていました。東芝から転籍した労働者も、 富士通のパソコン事業の職場などに配転させられて いました。
 そのような中で、東芝から転籍した課長(GPM)が 富士通を退職しました。

 このことが東芝の職場で話題になりました。課長は 優秀でしたし、職場での信頼も厚い人でした。

 携帯電話事業から撤退のとき、東芝に残された労働者 のグループは、引き取り先、配属先がなかなか決まらず、 あちこちの職場に出向応援させられました。長い人は2年 にもなりました。やむなく退職した労働者もいました。

「行くも地獄、残るも地獄だね」とのつぶやきが出ました。
                  東芝の職場を明るくする会


賃金実態

2015年3月8日

35歳 年間所得310万円

 Y君は35歳で、東芝のグループ会社(東芝 資本100%)の社員です。職場で、昨年度の源泉 徴収票を見せてくれました。

 給料支払金額の欄が 3,100,000 円になってい ました。この金額から、所得税や社会保険料が 引かれています。

 Y君は独身で、一人でアパートを借りて暮らして います。借りているアパートも昨年契約更新だったの を機会に、会社からさらに2駅遠くなる場所に、住み 替えました。家賃を節約するためです。それでも今の 家賃は65,000 円だそうです。

 Y君の趣味は、カメラと撮影です。休日は自然の 風景を取りに出かけるそうです。デジタルカメラ なので、フィルム代、現像代はかかりません。 お金のかからない趣味で良かったと話しています。

 Y君はタバコもお酒もやりません。車も持って いません。速く結婚しろと言ったら「誰か紹介して ください。」との返事です。結婚できないのが ほんとうのところかな?。
                  東芝の職場を明るくする会


成果主義賃金6

2015年2月22日

査定はグループリーダーにとっても負担

 成果主義賃金は、査定する側のグループリーダー (課長職)に、@精神的にも、A時間的にも、 大きな負担がかかります。

@精神的負担
 部下は誰もが一生懸命に仕事をしています。仕事は 専門化していますので、それぞれが大切な業務です。 どれか一つ欠けてもいけません。
 それぞれの部下を評価してあげたいと、グループ リーダーは思います。それを無理やり優劣をつける 評価をしなければならないのですから、たいへんです。

A時間的負担
 グループリーダー(課長職)は多忙です。自らも 設計業務もします。開発製品の工程管理もします。 お客様との仕様などの打ち合わせもします。
グループリーダー(課長職)は、毎日遅くまで仕事を しています。グループ内で一番の長時間労働者です。
 そこへ成果主義賃金の査定業務も入るわけですから、 時間的に大きな負担になります。
************************************************
(成果主義賃金の、今回のレポートは終わります。)
                  東芝の職場を明るくする会


成果主義賃金5

2015年2月8日

製品寿命に左右される賃金

 製品は、開発して市場に出荷して、売れて広まって 行く「成長期」、一定数量が売れる続ける「成熟期」、 売り上げが減って行く「衰退期」の製品寿命があります。
製品寿命期間も10年〜20年が一般的です。

 製品が生産されている期間、生産終了から一定期間まで は、担当する技術者が必要です。

 Eさんは、半導体製品の技術者です。Eさんの開発、 設計した半導体製品も衰退期をむかえていました。
成長期のときは、Eさんも普通の評価でした。
しかし、衰退期の製品を担当している今のEさんの評価は、 低いのです。それだけでなく、能力も低いと評価される のです。

Eさんは、評価に疑問をもっています。
                  東芝の職場を明るくする会


成果主義賃金4

2015年1月18日

真面目に働くので評価はずっーとAランク

 Cさんは30代の後半です。コンピューターのソフト ウェアの設計の仕事をしています。仕事もしますし、 職場の人とも普通に会話します。マナーもあり、ごく 普通の社会人です。結婚もしていてお子さんもおられ ます。

 ソフトウェアの設計の仕事量は膨大です。一人で全部 できるものではありません。たくさんの人が分担して 設計して、一つのプログラムとして完成します。

 Cさんの評価はいつもAランク(普通)です。理由は たぶん普通の人だからです。

 同じ職場にDさんがいます。30代前半です。Dさんも プログラムの一部を分担して設計しています。Dさんも 普通の人です。職場内のほかの人と比べて、抜きん出て 仕事ができるというわけではありません。

 Dさんは声が大きいです。俗に言う「態度が大きい」 です。Dさんは、自分が担当して設計したプログラムに ついて、東芝の技術雑誌「東芝レビュー」に発表した こともありました。(内容の評価については割愛) Dさんの評価はEランクです。(Aランクの上)

 成果主義賃金といっても、仕事の成果だけで決まらな いと、職場の労働者は思っています。
成果主義賃金で、人間関係がしっくりいかなくなる、 各自が知識・技術・ノウハウを囲い込んでしまい、職場 組織全体の技術レベルアップにつながらないなど、マイ ナス面が生まれました。
                  東芝の職場を明るくする会


成果主義賃金3

2015年1月12日

成果主義賃金だから評価はBランク

 Bさんは50才になります。入社以来デジタルプロダクツ 事業部門(パソコン、ハードディスク、テレビ、携帯電話 など)で働いてきました。毎月60時間の残業をして、一生 懸命働き成果も上げてきました。

 この10年、デジタルプロダクツ事業部門は、リストラが 頻繁に行われました。担当していた製品生命の終えん、事業 の縮小などで、Bさんも職場を何度か移りました。携帯電話 事業の日野工場の閉鎖、テレビ事業の深谷工場の閉鎖などで、 デジタルプロダクツ事業部門そのものがなくなりました。

 Bさんにかぎらずデジタルプロダクツ事業部門で働いてい た労働者は、余剰人員とされ行き先がありません。3ヶ月、 6ヶ月、1年の期間で倉庫作業員、家電量販店の店頭販売員、 「電子デバイス事業部門・社会インフラ事業部門」の製造 現場作業員などとして出向しました。

 出向するBさんの評価は、Bランクだと言われました。 Bさんの資格は副参事だったので、成績査定の比率が大きい ため、一時金は人には言えないほど少なくなりました。

Bさんは、マイホームのローンを、ボーナス払いが多めで 組んでいたため、家計費の大幅切り詰めをしなければなら なくなりました。

 デジタルプロダクツ事業部門をなくしたのは、会社の経営 方針で、責任も会社にあります。
Bさんに責任はないのです。しかし成果主義賃金という名目で、 大幅な賃金カットが行われるのです。
                  東芝の職場を明るくする会


成果主義賃金2

2014年12月20日

成果主義で負担が増大

 Aさんは、パソコンの電気回路(論理回路)の設計を しています。仕事ができるので、30才のときには、新回路 の開発プロジェクトをまかされました。

 開発プロジェクトとなると、以前はたくさんの労働者が 集まって、皆で力を合わせて製品作りあげていくという イメージでした。成果主義賃金制度の導入と同時に、一人 一人の能力を最大限に発揮してもらうという言い方で、一人 まかせのプロジェクトが多く生まれました。

 Aさんの新回路の開発プロジェクトは、Aさんが論理回路 を設計しながら、それを半導体(IC)チップにするために、 東芝の半導体事業部の担当部門との共同開発、ソフトウェア 部門との打ち合わせなど、一人で何でもこなさなければなり ませんでした。仕事量は物理的限界を超えていました。 長時間労働が続き、睡眠不足と過労でついに2年目に病気に なりました。医師の診断はうつ病でした。

 Aさんは治療のため休職しました。家族のひっしの看護で 病気が回復し、職場に復帰しました。仕事に身体を慣らして 行くため、最初は負担の少ない仕事からお願いしました。

 上司はAさんに冷ややかでした。成果主義賃金制度なので、 すぐに成果が出せない部下は困るという態度でした。 上司も成果主義賃金制度でノルマがきつく、そういう態度に ならざるを得なかったのかな。

 やむおえずAさんは別の職場に移りました。
                  東芝の職場を明るくする会


成果主義賃金1

2014年11月24日

意欲と創造力を失わせた成果主義賃金制度

 「成果を上げれば賃金が上がる」という説明で、成果 主義賃金が導入されてから15年以上はたちました。結果 は、賃金は上がらず、メンタル障害(うつ病など)が増 えて、職場が荒廃しました。

 年度の初めに高い成果目標が決められ(目標管理シー トの作成)、半期(6ヶ月)ごとに目標に対する結果を、 点数で表す採点が行われます。普通に仕事をした場合の 点数は、最も低い点数になるようになっています。

 成果を出すというのは、普段でも無理な工程の製品開発 の納期を、短縮できたかが評価基準になるのです。最初から 無理な納期が決められているのですから、それをキープでき る労働者はいません。

 目標(納期)を達成するため、長時間労働がまん延しま した。家に帰らないで徹夜で仕事をする労働者が出ました。 1ヶ月の残業時間が200時間を超えた労働者もいました。

 上司は目標管理シートの点数を元に、評価分けします 1番良い評価から並べるとSランク、Aランク、Bランク となります。各ランクもさらに細分化されています。通常 はAランクになります。ランク付けの割合が決まっている ため、全員がSランクにはなれないのです。

 労働者は競争させられ、連帯が失われて行きました。 成果が上がる仕事、目立つ仕事だけをするようになりました。 データ整理、計測機器管理、お客さまからのクレーム対応 など、職場になくてはならない仕事は、地味なこともあり 低い評価になり、立場の弱い労働者や、人のよい労働者に 回されました。

 成果主義賃金制度が導入されるまでは、職場の同僚や 先輩と学び合い、技術の交流・向上を図るのがあたりまえ でした。上司と率直な意見交換をして、仕事が進められま した。
 また、そういう職場をつくるのが、みんなの願いでした。 働く人の意欲や創造力が発揮されて、仕事に打ち込めるよう になります。それは優れた技術、高い製造品質作りにつな がり、会社の発展につながります。

 次回から成果主義賃金制度によって引き起こされた、 さまざまな問題をレポートして行きます。
                  東芝の職場を明るくする会


コーポレート・ガバナンス

2014年11月10日

子会社の違法な首切りを是正させる

  東芝もきちんとしたコーポレート・ガバナンス [企業統治(きぎょうとうち)]方針を持って活動 しています。
 そのなかで子会社の管理については、次のように 述べています。

(6)株式会社並びにその親会社及び子会社から成る 企業集団における業務の適正を確保するための体制
  1. 当社は、子会社に対し、「東芝グループ行動基準」 を採択、実施するよう要請する。

  2. 当社は、子会社に対し、その事業運営に関して重要 事項が生じた場合は、「業務連絡要綱」に基づき当社 に通知するよう要請する。

  3. 当社は、内部統制項目につき、子会社を含めた適切 な施策を立案し、これを各子会社の実情に応じて推進 するよう要請する。

  4. 当社は、子会社に対し、「東芝グループ監査役監査 方針」に基づいた監査体制を構築するよう要請する。

  5. 当社は、必要に応じ子会社の経営監査を実施する。


■子会社へコーポレート・ガバナンスを発揮した事例 を紹介します。

 東芝は2010年10月1日付けで携帯電話事業を富士通に 譲渡し、携帯電話事業から撤退しました。
 その結果、東芝日野工場で携帯電話を製造していた 東芝グループ会社の東芝モバイルコミュニケーション プロダクツ(略称:TMCP)で、従業員のリストラが 行われました。
 会社は労働者を一人一人呼び出し、面接で執拗に退職 を迫りました。
泣く泣く会社を去っていった労働者数は、
・2011年度…約80人
・2012年度…約20人
にもなりました。

 5人の労働者が「会社に残って働きたい」といって、交渉 をしていました。5人の労働者から、明るい会にも支援の 要請がありました。

 そこで明るい会は、2012年6月22日(金)に両国国技館で 開かれた(株)東芝173期株主総会で、TMCPに勤務する 従業員の再配置の考え方について質問しました。
 室町副社長から「雇用の場を確保すべく東芝グループ内で の再配置を提示するとともに、再就職支援等を進めています。」 との回答がありました。

 ところがTMCPは、2012年8月2日突然5人の労働者に、郵便 で「解雇通知書」を送りつけてきたのです。違法で一方的な暴挙 でした。

 明るい会は、TMCPがコーポレート・ガバナンスに違反 していると判断しました。そこで東芝本社と直接話し合いを して、問題を解決することにしました。明るい会と東芝本社 (勤労部門)の間で、数回にわたり話し合いが行われました。

 東芝本社はコーポレート・ガバナンスを発揮して、TMCP を指導しました。その結果、5人の労働者は職場復帰ができて、 現在は「東芝情報機器株式会社」で元気に働いています。
                  東芝の職場を明るくする会


賃上げが必要

2014年11月4日

実質賃金14ヵ月連続のマイナス
暮らし・雇用の日々悪化を実感

 厚生労働省が10月17日に発表した毎月勤労統計 調査で、実質賃金が14ヵ月連続のマイナスとなった ことがあきらかになりました。
 実質賃金は、勤労者の現金給与総額(名目)から 消費者物価の上昇を差し引いたものですが、消費 税増税があった今年4月は3%を超すマイナスに 落ち込み、春闘以降も減少が続いています。8月の 実質賃金は1年前にくらべ、3.1%の減少です。

 「アベノミクス」は、 @インフレ政策で物価を 上昇させることを目標にした金融政策と、 A公共 投資など財政支出の拡大、 Bさらに「世界でもっと も企業が活躍しやすい国」を掲げた規制の緩和・ 撤廃などが柱です。
 その結果が、大企業のもうけと内部留保を増やし ただけで、国民の暮らしはよくならず、食料品や ガソリンなど消費者物価を上昇させているのです。

 企業がもうけを増やせば賃金も上がると、安倍 首相は言いましたが、現実はまったく違いました。 安倍政権が発足してからほとんどの期間に実質賃金 の低下が続いているのは、「アベノミクス」では 経済の好循環が生まれないことの証明です。いま 必要なのは、消費税の再増税を中止し、賃金を引 き上げ、実質賃金を改善することです。

連合労組も賃上げ要求検討

 連合労組は来年の春闘に向けての討論集会を始め ました。討論に参加した各労働組合の代表が、こも ごも物価の上昇を上まわる賃上げが必要と訴えてい ました。

           東芝の職場を明るくする会


労働者派遣法

2014年10月27日

労働者派遣法の改悪に反対しましょう

 安倍自民・公明政権は、国民の批判をあびて通常国会で廃案に なった労働者派遣法の改悪案を、今国会に再提出し、成立をね らっています。

 これまで「臨時的・一時的」な業務に限って認めてきた派遣の 原則を大転換し、無制限に広げようとする重大な内容で、「景気 の調整弁」として派遣を、企業が自由にを使えるようにするとい うのが最大のねらいです。

 本来、雇用は、企業主が自分の会社で働かせる労働者を「直接 雇用」するのが原則です。派遣労働はこの原則に反して、仲介業者 が間に入って賃金をピンハネし、貸し出される「間接雇用」です。

 いまの派遣法は、派遣はあくまで「臨時的・一時的」な利用に 限って可能としていて、一般業務派遣は期間を制限(原則1年、 最大3年)する規制が設けられています。これを超えて働かせる 場合、派遣先企業は労働者に直接雇用を申し込む義務があります (第40条4項)。

 改悪案では、派遣労働者が派遣会社に無期雇用で雇われている 場合は、派遣期間の制限がなくなります。派遣会社の正規雇用に すれば安定雇用になり、不安定な身分が改善されるという理屈です。 これは、事実に反するでたらめな主張です。
 2008年のリーマン・ショックで「大量派遣切り」が強行され たときの例を見ればあきらかです。景気が悪くなったからと派遣先 から大量に派遣契約を打ち切られたとき、「うちの派遣労働者は 無期雇用だから」と雇用を守った派遣会社がどれだけあっでしょうか。

 また改悪案では、派遣労働者のキャリアアップにむけて、「教育 訓練を実施しなければならない」としています。しかし、派遣元 企業が実施するうえ、その内容も明らかではありません。労働者が 希望するキャリアアップにつながるのか、まったくわかりません。

 改悪法案が成立すれば、派遣労働者は派遣先への正社員雇用の 道が閉ざされ、いつまでも低賃金で不安定な働き方から抜け出せず、 派遣のまま働かざるをえなくなります。企業は正社員雇用をやめて、 派遣を導入して使い捨てる経営に切り替える危険が高まります。

 いま求められているのは、派遣は臨時的・一時的業務に厳しく 限定して、安易な利用をやめさせること、派遣先の労働者との 均等待遇を義務づけることです。
                  東芝の職場を明るくする会


労働組合

2014年10月14日

労働組合委員長から市議会議員に

 来年4月の青梅市議会議員選挙に、現職で元労働組合 委員長が再選をめざして立候補するのでは、との話を 職場の労働者がしていました。

「また立候補するらしいよ。」
「だけど青梅工場ではパソコンもハードディスク(HDD) も製造しなくなったので(海外に生産移管)、下請けが なくなって、票が集められるか。」
「聞いたところによると青梅市に住んでいる、東芝、 東芝グループ・関連会社の社員とその家族の票で、当選 できると言っていたよ。」
「へえ、そうなの。」

【解説】
 東芝青梅事業所・青梅工場(東京都青梅市)では、 歴代の労働組合委員長が、市議会議員選挙に立候補し、 市議会議員になってきました。

 選挙活動は、会社主導で行われます。下請け会社 への票の依頼・名簿の提出要請などは、仕事の発注 元という経済的に強い立場を利用したものでした。

 労働組合委員長を務めれば市議会議員になれるので、 論功行賞だねと話す人もいます。


差別問題

2014年10月6日

働く人はみんな平等です

 東芝の社員の方から口頭で投稿がありました。 その要旨を記載します。

 投稿者の職場は技術部門で、50名を超える 労働者が働いています。その構成は、正社員の方、 東芝グループ会社の方、協力会社の方などです。 グループ会社、協力会社の方のほうが多くて、 技術部の仕事を担って、推進しているのは、その 方達です。

 その職場の一部の社員の中に、差別意識を 持っていている方が数名おられて、東芝社員は偉い、 グループ会社、協力会社(社員)を使って いるだという態度でいます。仕事を依頼、お願いする ときの、言葉も粗雑で、見ていていやになります。

 差別意識を持っている人を見ていると、そう仕事が できわけでもなく、東芝という名前をバックに虚勢を 張っているだけです。

 ほんとに仕事ができる人や、その分野の第一人者 と言われる人は、誰に対しても丁寧に対応されて います。
                                           以上

 東芝の経営理念は「人権の尊重」です。所属 会社の違いによって、差別をしてはならないと と、社員教育も行われています。


パソコン

2014年9月28日

パソコン事業のリストラ−−がっくり肩を落とすOB

 東芝が9月18日パソコン事業のリストラを発表 しました。パソコン事業に関わる従業員の20%、 約900名を削減する方針です。
 このパソコン事業のリストラは、NHKのニュ ースでも流されました。

 パソコン事業に長年携わり、定年退職された OBの方から連絡があり、何人かの方に会って 話を聞きました。

 「東芝までが、パソコンのリストラしなければ ならないのか。」、「これまでも人を減らしてパソ コン事業を縮小してきたので、もうリストラはしな いと思っていた。」などの話をされて 一様に ショックを受けていました。
 
 「1980年代なかばにノートパソコンdynabook (ダイナブック)を発売し、世界のトップメーカに なったのに。」、「ドイツやアメリカにパソコン 工場を作り、製造していた時代もあったのに。」 苦労されてパソコン事業を東芝を代表する事業に 育て上げてこられたので、今回のリストラ発表に くやしさ、寂しさを感じておられました。

 東芝をはじめ日本の電機産業が、なぜこんなに まで衰退したのか。「明るい会」でもシンポジュ ームを開いたりして、広く検討を行ってきました。  電機産業を守るため、全労働者、全国民の意見 を結集し、経営方針、国の政策に反映させる活動を、 ご一緒に進めていきませんか。


つぶやき6

2014年9月23日

GPMは疲れていた

 土曜日の休日出勤の電車で、日野工場時代 (携帯電話事業)のGPM(グループマネージャー、 課長職)に会いました。

 立川駅から川崎駅に行く南武線の中でした。 GPMは斜め向かいの席に座っていましたが、 疲れている様子で、スマートフォンを見たり、 ときどき目を閉じたりしていました。

 30代後半にGPMになり、携帯電話の設計 業務を精力的にこなしていました。

 東芝が2010年10月1日付けで携帯電話事業を 富士通に譲渡したため、GPMも富士通に移り ました。南武線の武蔵中原駅の前に富士通は あります。

   移籍当時は富士通の携帯電話事業は好調で したが、いまは縮小でリストラを行っている とのことです。GPMがどうなられたかは分かり ません。

 成果で評価すると言われ、賃金も成果主義 賃金が導入されました。あんなに頑張って仕事を されていたGPMも、会社の都合で移籍させられ、 いまは東芝とは関係なくなっています。

 成果主義とか、成果主義賃金とかいわれまし たが、ときが経つにつれて、社員の賃金が安く 抑えられただけで、会社の都合ばかりが通る 内容だと分かりました。


つぶやき5

2014年9月8日

通勤が遠すぎて

 通勤定期券を見ながら、「6ヶ月の定期代が 30万円だもんな。もったいないよな、勤務地が 近ければこんなに負担しなくてもよいのに。」

「遠くて通勤できなくて、単身赴任で部屋を 借りていた人が亡くなったよ。」
「えっ。」
「朝、出勤してこないから見に行ったら、部屋 でなくなていたそうだよ。」
「持病があったそうだけど、家族と離れて一人 暮らしは、体にストレスがかかるからね。」

 この10年間の、テレビ・映像事業、パソコン 事業の見直しで、勤務地が東芝深谷工場、東芝 青梅工場、東芝情報機器(千葉市美浜区)と 変わった労働者の会話です。



つぶやき4

2014年9月1日

電機産業は、この先どうなる

 東芝社員と電子部品商社営業マンとの会話
 
電子部品商社営業マン
 コンピュータや電子機器に使用するコネクタ やスイッチなどの商社で、東京の多摩地域 (中央線沿線)を担当している営業マン。

「景気はどうですか」
「取り引き先、販売数量が減って困っています。」
「そうですか、うちの東芝日野工場も無く なったしね。」

「東芝さんだけじゃないですよ。近くの日立青梅 さん、国際電気さん(東京都羽村市)も無くなった し、ルネサスさん(東京都小平市)も縮小だし。
 大手メーカさんがいなくなると、下請けの ハーネスメーカや、プリント基板部品実装メーカ も仕事がなくなって、厳しくてやっていけないと 言ってます。」

「うちも製造は中国だし、青梅工場で製造して ないもんね。」
「どうなってしまんでしょうね。」


つぶやき3

2014年8月24日

この先どうなるの

 京浜事業所の労働者の会話です。

 「火力発電機器の製造は、インドで行うように なってしまったし。水力発電機器は中国だし。 原子力発電機器は京浜と言っていたけど、福島原発 事故依頼仕事がなくなってしまって、京浜事業所 はどうなるのかな。」

 「こんどできたグローバル製造センター(5階建て、 2014年2月稼働)で、インドからの労働者が研修 して、火力発電機器の製造技術を身につけて、 インドに帰ると言っていたよ。」

 「仕事が少なくなって、職場内はガラガラで、 スペースが増えたね。
 「この先どうなるのか、不安だね。」


つぶやき2

2014年8月17日

毎日の組合ニュース

 「小向工場の労働組合は、毎日組合ニュース を発行しているんだ。」
 「えっ、それは凄いね。」
 「組合活動の伝統で、何十年と続いている んだ。」
 「東芝の労働組合で、毎日組合ニュースを 発行しているところなんて、他にはないよ。」
 「この伝統は続けてほしいね。」

 「ニュースの内容も、もっと職場問題や職場 要求を取り上げてほしいんだ。」
 「組合のニュースなんだから、組合員の利益 になる立場で書いてほしいね。会社に遠慮して いるように感じるね。」


つぶやき1

2014年8月11日

組合と会社どっちに話す?

 東芝の東京の別々の事業所に勤務する50代の 社員(元は同じ事業所で働いていて、20代のと き労働組合の職場委員をしていた。)が、久々 に会ったときの会話です。

「おい、職場問題が起きたとき、組合と会社 どっちに話した方が解決する。」
「それが、会社のほうなんだよ。」
「やっぱりそうか。俺も(通路の安全問題を) 会社に話したら改善されたよ。」
「組合だとなかなか進まないよ。」

「俺たちが組合活動をしていたころ(30年前) は、何かというと組合に言って、相談して、 対応してきたね。」
「これじゃ組合は、(労働者の)役にたたな いね。」
「そのこと(役にたたない)は、周りの社員に は言えないないよ。俺たちが労働組合を否定 しているみたいに思われると困るからね。」



東芝うつ病裁判6

2014年7月27日

過労死防止法が成立

 U.Sさんも、自分のつらい体験から、この法律 の制定のために活動しました。

 過労死は、日本の異常な労働環境を象徴し、世界でも 「karoshi」とそのまま呼ばれています。
 過労やストレスは、脳や心臓に疾患を招きます。過労が 原因のうつ病も、その一つです。また、過労を引き金に した自殺も増えています。

 過労死の防止を国の責務と明記した「過労死防止対策 推進法」が6月20日、国会で成立しました。実態のつかめ ていない過労死の調査研究、過労状態にある人や、その 家族のための相談体制づくりなどを定めています。

 過労死で夫や子どもを亡くした遺族などの、粘り強い 運動が国を動かし、衆参両院とも全会一致で可決されま した。

 過労死防止基本法制定実行委員会の森岡孝二委員長は 「過労死防止を国の目標と認めて大きな一歩を踏み出し た意義は大きい。実効性のある法律にするためにいっそ う努力していく」と話しました。

 全国過労死を考える家族の会の寺西笑子代表世話人は 「過労死を繰り返さない、大切な家族を亡くした教訓を 忘れないでほしいとの思いで運動してきた。過労死の ない社会へ新たなスタートを切りたい」と決意を述べ ました。

 息子を亡くした兵庫県の遺族は「この法律があと10年 早くできていたら、息子は死ななくてよかったかもしれ ない。健康的に働ける日本にするために亡き息子と 見守っていく」と語りました。

         東芝うつ病裁判の取材 第1部おわり


東芝うつ病裁判5

2014年7月13日

東京高裁 差し戻し裁判レポート

●2014年6月9日 13:30〜  東京高裁809号法廷

 U.Sさん側弁護士 …… 川人(かわひと)弁護士、他3名
 会社(東芝)側弁護士 … 伊藤弁護士、他1名
 傍聴者 … 40の傍聴席が満席


(発言をメモしましたが、一部聞き取りにくいところが ありました。あらかじめご了承ください。)

●U.Sさんの意見陳述

 2011年2月23日の判決(東京高裁)から3年3か月、 東芝解雇から10年、休職から13年が経過した。発言 できることをうれしく思います。

 和解が決裂してから、東芝は嫌がらせの元上司など の(文書を出してきた)しつこい態度で・・・。 これが日本を代表するメンタルを(大切にすると標榜 する)会社か。

 会社のメンタルヘルス、体質改善(をせず)・・・。 全く反省することなく、会社は反省していないと  厳しく述べ、最高裁の判決は、(私たちの)主張が認め られた。

 (2011年2月 東京高裁判決の)裁判官は・・・偏見 がある、・・・高裁判決へ強い憤りを感じた。社会情勢 を全く無視しており裁判官の見識の無さを・・・ (糾弾する)。
 
 毎月1回の宣伝、最高裁前で訴えてききた・・・3年間 (運動を続けてきた)。
 
 最高裁判決・・・。
 体調不調を訴えてきた・・・。
 部下に重責を担う仕事を割り当てられた。・・・
 パワハラで症状が悪化した。・・・ 

 (私は)今でも当時のことを思い出し涙がとまらない こともある。1日中寝て過ごしていることもある。将来の 生活に不安を抱いている。(社会の)裁判への偏見もある。 13年以上(続き)人生を壊された。

 会社は過重負担でなく適切な対応を・・・。
 最高裁は、会社の・・・(不当な対応を)認めた。
 会社はメンタルヘルス(を履行し)上司のパワハラが 無くなるように願っている。


●裁判長の発言
 控訴人から出された(未払い金の利息を)、年5分から 6分に拡張する。

 (この裁判は)長期にわたっており 実質的に解決 (している)。

 (裁判所から)和解の勧告を出し(U.Sさん側、会社側の) 双方が受けた。

 (今後の裁判の進め方については16階の第9民事部に)場所 を変えて、経緯、今後の大まかな進め方を(話し合う)。 期日は追って連絡する。

●閉廷 14:50 


東芝うつ病裁判4

2014年7月6日

13年もの長い闘いの原因

●職場状況の再確認
 2000年11月から「液晶ライン立ち上げプロジェクト」 の業務が始まる。無謀なスケジュールと厳しいノルマで、 従事する労働者に、長時間過密労働が続く。

 2001年7月と12月には、プロジェクトの男性労働者2名 が自殺する悲惨で過酷な労働状況だった。

 U.Sさんも深夜まで働き(毎月実働100時間を超え る残業)、体調をくずし、うつ病の発症。2001年9月とう とう休職に追い込まれる。

●長期闘いの原因1
 人間をたいせつにする基本的精神が、会社(東芝) の対応になかったこと。

 3年間の休職期間が終わったら、非情にもU.Sさんを 解雇した。労災にしてくださいと懇願しても、冷たく 拒否する。
 休職期間が終わったU.Sさんに対して、丁寧に話し合い、 例えば別の職場や事業所に転勤させるなどして、軽度の 仕事から職場復帰をしてもらうなどの、人間的な処置を とるべきでした。

●長期闘いの原因2
 労働組合が、U.Sさんを援助しなかったこと。

 使用者(会社)は経済的に強い立場にあります。労働者 が一人一人の立場で労働条件などについて交渉すると、 どうしても使用者側の都合のよいように、一方的に決めら れてしまいます。そこで労働者は、不利の立場をカバーす るため団結して、使用者と交渉するようになりました。 その団結の組織が労働組合です。国の法律「労働組合法」 にも明記されています。

 東芝労組はU.Sさんのために何の援助もせず、2004年7月 には東芝労組深谷支部の事務所にU.Sさんを呼び出して、 労組役員が「本人の働こうと言う意欲があれば会社にでて 来れるはず」などと、耳を疑うようなことを述べたのです。 労働組合が組合員のためでなく、会社のために動いたのです。
 味方となるべき労働組合の冷たい対応は、解決が長引く 要因になりました。

●長期闘いの原因3
 裁判などで会社(東芝)が、うその証言やいやがらせを 行い続けたため。
 東芝が、「U.Sさんのタイムカードだ」と言って、 裁判所に提出したタイムカードは、U.Sさんも見たことも ない、偽造のタイムカードでした。

 うつ病の原因は、U.Sさんの体質にあると主張したこと。 体質とは、U.Sさんには生理痛があり、それがうつ病の 要因だというのです。医学的に何の因果関係もないのに。

 残念なことに職場の上司や同僚が、事実を正確に証言し なかったこと。事前に会社と証言内容をすり合わせていて、 「業務でたいした負荷が無かった」とまで言ってしまった ことです。2名の自殺者まで出る職場で、業務の負荷がない などとは、事実に反します。

 和解に進むチャンスは何度かありましたが、会社(東芝) は真剣に応じなかったこと。裁判官からの「和解をする気 はありますか」の問いに、東芝側は「全くありません」と 発言したりしました。

●U.Sさんの、人生で最も大切な30代、40代を奪って しまった現実を、東芝は真摯に反省し、一日でも早い解決 に全力をつくす責任があります。



東芝うつ病裁判3

2014年6月29日
朝日新聞デジタル版(2014年3月25日01時31分)に 掲載された記事です。


うつ理由に解雇、 社員の落ち度認めた二審破棄 最高裁

 長時間労働が原因でうつ病を発症したのに不当に 解雇されたとして、東芝(本社・東京都港区)の工場で 働いていた女性社員が損害賠償を求めた訴訟の上告審 判決で、最高裁第二小法廷(鬼丸かおる裁判長)は 24日、社員側の落ち度を理由に賠償額を減額した 東京高裁判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻した。
高裁では、東芝が支払うべき額が上積みされる見通しだ。

 訴えていたのは、埼玉県深谷市のU.Sさん。 2008年4月の東京地裁判決は、未払い 賃金と慰謝料など計2700万円の支払いを東芝側に 命じたが、11年2月の高裁判決はこのうち慰謝料など について、U.Sさんが通院状況を会社に申告しなかった などとして2割を減額した。

 解雇無効の訴えは一、二審とも認め、すでに確定。 上告審の争点は賠償額だった。この日の判決は、高裁が 減額理由とした事情は「社員側の責めに帰すべきでは ない」と判断した。

 判決によると、U.Sさんは液晶生産の技術部門を担当。 プロジェクトリーダーとして時間外労働や休日・深夜の 勤務を余儀なくされてうつ病を発症し、04年に休職 期間が満了したとして解雇された。



東芝うつ病裁判2

2014年6月22日

U.Sさんの裁判年表

●2000年
11月 「液晶ライン立ち上げプロジェクト」の業務が始まり、長時間過密労働が続く

●2001年
4月 体調悪化で精神科へ通院開始
9月 うつ病で休職開始

●2004年
3月 会社に労災申請を申し入れ
6月 「労災に当たらない」と会社が拒否
9月 休職期間満了を理由に解雇される
11月 解雇は無効の訴えを東京地裁に起こす

●2008年
4月 東京地裁判決…解雇無効・安全配慮義務違反を認める
4月 東芝は判決に従わず東京高裁に控訴

●2009年
5月 行政訴訟で、国が労災と認定

●2011年
2月 東京高裁判決…解雇無効、賃金支払い、慰謝料支払いを命令、ただし損害賠償額を地裁判決の8割に減ずる
3月 U.Sさんは最高裁に上告

●2014年
3月 最高裁判決…損害賠償額を8割に減じた部分を破棄し、東京高等裁判所に差し戻す(U.Sさん勝訴)


東芝うつ病裁判1

2014年6月15日

東芝うつ病裁判を闘うU.Sさん

 発症から13年、東芝は、地裁の判決、国の認定にも従わず 裁判を長期化させ、療養中のU.Sさんを苦しめています。

●月100時間を超える残業
 30才を過ぎたばかりのU.Sさんは、東芝深谷工場で、 液晶開発技術者として働いていました。明るく優秀で、 開発業務のリーダーをこなしていました。
 2000年11月から始まった「液晶ライン立ち上げプロジェ クト」は、無謀なスケジュールと厳しいノルマで、長時間 過密労働が続きました。U.Sさんは深夜まで働き、タイム カードの記録以上に、実働で月100時間を超える残業が続き ました。

タイムカードに記録されている残業時間数
  2000年
     11月 39 時間 50 分
     12月 98 時間 45 分
  2001年
      1月 79 時間 45 分
      2月 79 時間 45 分
      3月 94 時間 50 分
      4月 80 時間 00 分

●職場で同僚2名が自殺
 2001年7月、12月、同じプロジェクトの同僚が2名自殺 するという悲惨で過酷な労働状況でした。
 U.Sさんも体調不良を訴え業務軽減を求めましたが、 上司は業務を軽減するどころか、さらに新製品の開発業務 を課しました。
2001年4月、U.Sさんは体調をくずし、精神科へ通院を 始めました。うつ病の発症です。
2001年9月、治療を続けていたU.Sさんは体調が回復せず、 とうとう休職に追い込まれました。

●使い捨てで、労災申請を拒否
 U.Sさんは、労災と認めてくれるように会社にお願い しましたが、東芝は非道にも拒否したのです。
2004年9月には休職期間満了を理由に、一方的に解雇して しまいました。
2004年11月、U.Sさんがやむなく解雇無効の訴えをを起こ すと、東芝は裁判でうその証言や嫌がらせを繰り返しました。

●裁判所の命令、国の認定にも従わない東芝
 2008年4月東京地裁は、U.Sさんの主張を全面的に認め、 U.Sさんが「うつ病に罹患したのは過重業務が原因である」 とし、「解雇は無効である」との判決を言い渡しました。
 2009年5月には、U.Sさんのうつ病発症は労災であると、 国にも認定されました。

 東芝は判決に従わず控訴したため、いまだに裁判が続いて います。



株価

2014年5月11日

東芝の株価が下がる

東芝の株を持っている社員の話です。

 株が下がって心配だ。 原因は、東芝のやって いる原子力発電機ではないか。
 世界の流れは、原子力発電を止めて、 自然エネルギーを利用する発電に向かっている。  原子力発電はリスクが多過ぎるので、投資する 人は減っている。

 東芝は事業の「集中と選択」で、半導体 (NAND型フラッシュメモリ)と原子力発電機に 特化してきた。 その一つの柱が崩れてしまった。



人事異動

2014年5月4日

転出させる人、転入してくる人

課長職を経験した社員の話です。
 会社から製品開発納期のキープなど仕事の成果 (課としての成果)を厳しく求められるので、 仕事ができる人(優秀な人材)を手元に置いてお きたい。
 会社が新しく事業を立ち上げるとき、「あなた の課から○○名、新事業の部門に出して(転出 させて)くれ」と言ってくる。そうした場合は、 自分の課の仕事で、成果を出せる人は残す。 成果に遠い人から転出させる。

設計の仕事をしている社員の話です。
 新しい製品開発をするために集められた人 (転入してくる人)は、前の課(転出元)でいらない 人(仕事ができないと思われている人)が多い。

 二人の話を聞いて、転出・転入には難しい問題が あると感じました。


社員は宝

2014年4月27日

東芝列車走る

 4月の初めJR南武線を、車両全体に「東芝未来科学館」 の広告を載せた電車が走りました。乗客の目をひき、 話題になりました。

 東芝未来科学館は、JR川崎駅西口徒歩1分、元の 堀川町工場の跡地に建てられた「ラゾーナ川崎東芝ビル (地上15階)」の2階に、2月1日オープンしました。
川崎市内の小向工場敷地内にあった「東芝科学館」が 引っ越してきて名称も「東芝未来科学館」になりました。

 ラゾーナ川崎東芝ビルは、「スマートコミュニティ センター」と呼ばれ、東芝のスマートコミュニティ事業を 強化するために建てられ、社会インフラ部門やクラウド ソリューション部門など、スマートコミュニティ事業に 関連する部門の労働者7,800名が移転してきて、働きます。

 「東芝未来科学館」の広告電車に乗り合わせた社員の 話です。
「会社が発展することは嬉しいことだ。」「自分は デジタルプロダクツ事業のリストラで配転させられて、 JR南武線を利用しての長距離通勤をしている。」 「事業がうまくいっている時はホイホイ持ち上げて、 赤字(製品の衰退期)になると、社員をポイポイ切り 捨てる。」

 従業員は宝です。利益が上がるときだけ使って、 利益がでなくなればリストラして首を切る、こういう 経営はもう止めるべきです。


携帯電話

2014年4月18日

激化するメーカ間競争

 携帯電話の端末機もスマートフォン型の割合が 増えたのと、メーカ間の競争がさらに激化してい ます。韓国や台湾メーカがシュアを伸ばしています。

 東芝は携帯電話事業から撤退し、富士通に譲渡しま した(2010年10月)。そのときたくさんの労働者が 東芝から富士通に転籍しました。

 好調だった富士通の携帯電話事業も、この1年は 赤字となりました。そのため現在リストラが進めら れています。一人ひとりの労働者と面談が行われて いて、配転の希望先が聞かれています。

 東芝から転籍した労働者は「メーカ間の競争が 厳しいのは、昔から肌で感じている。富士通もこう なるとは思わなかった。」と話していました。

 日本の電機産業のありかたについて、明るい会では シンポジュウムを開いたりして、研究・検討を行って います。


春闘

2014年3月24日

東京、神奈川の職場で春闘について聞きました

 2000円の賃上げ額については、良いとも悪いともの 意見は出ず、「こんなところですか」と、冷めた意見 がいくつかありました。

 組合(組合役員)にもっと頑張ってほしいという 声があがっていました。

 次々とリストラが行われている状況で、いま自分が やている仕事も、先行きどうなるか不安で、気持ちは 春闘どころではない、という意見がありました。

 日ごろ「子供の教育費にお金がかかる」と話してい た労働者は、あきらめの状況でした。

 春闘のありかた、組合のありかたが、労働者と かい離していると感じました。このままでは深刻な 事態に進んでいくでしょう。労働者が声をあげて、 皆で力を合わせ現状を変えて行くことが求められて います。


残業

2014年2月17日

健康を壊す長時間残業

 月に40〜60時間の残業が当たり前なのが、職場の実態 です。
 月100時間を超える残業をする人もいます。自宅には 寝に帰るだけで、疲れて休日は昼まで寝ているそうです。  奥さんから「早く帰ってきて」と電話がかかってきた 人もいます。

 長時間残業で健康を壊したり、仕事の精神的負担と 長時間残業が重なってうつ病を発症する労働者もたく さんいます。

 会社と労働組合が時間外労働に関する協定を結んで います(三六協定)が、残業を抑制できる内容では ありません。
・1ヶ月の上限130時間
・1年間の上限1,000時間

   「勤務間インターバル規制の導入」が話題になって います。当日の勤務と次の日の勤務の間に決まった 休息時間の確保を義務づけもので、導入すれば長時間 過重労働の防止につながり、労働者の心身の負担を軽減 することができます。



転籍

2014年2月10日

住宅ローンが借りられない

 事業の再編がひんぱんに行われています。再編に伴う 社員の転籍も、うむも言わせずに行われています。

 東芝から東芝グループ会社(子会社のランク)に転籍 した社員が話していました。

 住宅ローンを借りるのに、東芝グループ会社の社員の ため審査が厳しくて、グループ会社の資本金なども聞かれ、 かんたんに借りられない。勤務先が東芝本体の社員なら 問題なく借りられたのにと、困っていました。

 派遣会社から来ている20才の青年が、80万円の中古車 を買うので車ローンを申し込んだら、審査が通らなかった とのことで、がっかりしていました。

 勤務先によって扱いが変わるなんて…


リストラレポート13

2014年2月3日

再就職ができなかったNさん

 Nさんは年齢が50代後半になりました。 パソコン、テレビ事業の縮小で、Nさんの職場 でも人員削減が行われました。会社がNさん提示 した仕事は、東芝グループ会社に出向し、パソコ ン関連の立ち仕事でした。

 Nさんは年齢からくる腰痛が出るようになり、 立ち仕事は無理でした。Nさんは、ディスクワー クの仕事を再度お願いしましたが、会社からは 「ない」との回答でした。

 会社の説明では、退職した場合は、会社の紹介 する民間の職業紹介会社「三井業際ヒューマン アセット株式会社」を2年間利用することができ、 そこで仕事を見つけて就職できるとのことでした。

 Nさんは「三井業際ヒューマンアセット株式会社」 で新しい仕事を見つける、再就職の道を選び、退職 しました。
 あれから10ヶ月、Nさんはまだ再就職できず、これ からも就職はできないと感じています。

 Nさんは、最初の3ヶ月は熱心に三井業際ヒューマン アセット株式の立川オフィスに通いました。Nさんの 認識は、三井業際が新しい仕事を見つけてくれると 思っていました。通っているうちに違っていることに 気付きました。三井業際は履歴書の書き方を講習したり するサイド支援だけで、民間のハローワークでした。
仕事探しはあくまで本人での努力でした。

 三井業際で9割の人が就職しましたと説明がありま したが、それは年齢が20代の人のことでした。 50代ではほとんど就職できていません。

 三井業際の利用しての再就職という説明は、会社の 都合の良い追い出しテクニックだったと、Nさんは 感じています。

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業 のリストラ取材から)


リストラレポート12

2014年1月26日

東芝協力会はなくなりました
      下請け会社の場合

 東芝青梅事業所には以前、下請け会社の集まり である「東芝協力会」がありました。
青梅事業所でワープロやパソコンを製造していた 1980年代、90年代は、下請け会社にたくさん仕事が 発注されて、協力会も活発に活動していました。

 年度初頭の予算説明会や、年始の賀詞交換会には 多数の下請け会社が参加して、大きな食堂も満杯 になりました。
予算説明会や、賀詞交換会に出席できるように なることは、下請け会社として箔が付き、名誉なこと でした。

 青梅事業所で製品の製造がなくなり、東芝協力会 も自然消滅していきました。

下請け会社の現状です。
●J社
ワープロやパソコンの組立をしていました。最高時 には200人の従業員がいましたが、会社はつぶれ、 廃業しました。
工場建物には、別の会社が入っていました。

●K社
ワープロやパソコンなど電子機器の中に組み込まれ るプリント基板に、部品を実装する仕事をしていま した。たくさんの注文をこなすため、第3工場まで 作って操業しました。
会社は若い社員であふれ、社員で作る野球部や華道 部が活発に活動していました。
いまは本社工場のみで、東芝とはまったく関係の ない仕事をしています。

●L社
ワープロやパソコンなどの梱包箱を作っていました。 内職さんも使って注文をこなしていました。
いまは少人数で、新しい取引先を開拓しながらやって います。

●M社
電子機器の筐体、板金物を製造していました。東芝 からの天下り社員も受け入れる会社でした。海外に 工場も作りました。
いまは規模を縮小し、新しい取引先の仕事をして います。

元東芝協力会の間で、青梅事業所の存続を心配する 声が出ていました。

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業 のリストラ取材から)


リストラレポート11

2014年1月20日

深谷(埼玉県)→青梅(東京都)バス通勤
      Hさんの場合

 Hさんは東芝深谷工場(埼玉県深谷市)で、テレビ 製造の仕事をしてきました。

 東芝が日本国内でのテレビ製造を打ち切り、深谷工場 を閉鎖しました。深谷で働いていた社員は、東芝青梅 事業所(東京都)に転勤になりました。Hさんもその中 の1人です。深谷工場から青梅事業所までは電車で2時間 30分ぐらいかかりますので、電車通勤はできません。

 転勤にあたって、青梅事業所には寮(ワンルーム マンションの広さ)があるので、入居可能との説明が ありました。会社も多数の社員が入寮すると思っていま した。しかし、入寮者はわずかでした。ほとんど社員が 深谷から青梅まで通勤することを選びました。Hさんも そうです。残される家族のことを考えると単身赴任は できませんでした。

 会社は民間バス会社と契約して、深谷と青梅を結ぶ通勤 バスを走らせています。朝は深谷工場から青梅事業所へ、 夜は青梅事業所から深谷工場へ毎日5台のバスが走ります。 深谷工場から一般道を走り、関越道の花園インターから 高速道路に乗り、圏央道の青梅インターで降りて、青梅 事業所に向かいます。走行区間のほとんどを高速道路を 利用するので、70分ぐらいです。

 Hさんも、一緒に転勤になった仲間も、本心は深谷工場 で働きたいと思っています。

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業 のリストラ取材から)


リストラレポート10

2014年1月13日

単身赴任は厳しい
      Gさんの場合

 Gさんは東芝青梅事業所(東京都青梅市)から 東芝大船工場(横浜市)に転勤しました。

 青梅事業所は、デジタルプロダクツ事業(ノートパソ コン、ハードディスク[HDD]、液晶テレビ、会計レジ、 複写機など)の中心事業所といわれていましたので、 ずっと青梅事業所で働けると信じていました。
青梅市内にマイホームも買いました。

 そしたら大船工場への転勤です。青梅から大船まで 電車で2時間かかります。Gさんのマイホームは、 青梅線の駅から離れています。駅へ出るのに時間が かかるので、青梅から通勤できなくて、単身赴任を しました。
 借りた部屋には、家具はなにもありませんので、 冷蔵庫、調理器具、洗濯機などを買いそろえて、 痛い出費になりました。

 この一年半で、一緒に転勤してきた労働者の何人か は退職しました。通勤時間が長かったり、単身赴任が たいへんだったりが理由です。

 Gさんもこんな二重生活がいつまでも続けられるか 心配です。青梅のマイホームを売って横浜に移り住む ことも考えましたが、大船工場でずっと働けるかの 保証がないのです。
 すでに職場内での配置替え行われ、大船工場から 横浜事業所に移った人もいます。自分の働く場所の 将来が見えないのはツライことです。

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業 のリストラ取材から)


退職理由

2013年12月23日

退職できなかった

 リストラの取材のとき、労働組合の代議員をした 経験のある、59才の労働者が話しました。

 この方の友人で、元労働組合支部執行委員をした ことのあるAさんが、何年か前に早期退職をしよう としました。そしたら勤労部に呼ばれて、退職を 思いとどまるよう説得されたそうです。

 会社としてはリストラで人員削減を進めている 時期でしたが、労働組合支部執行委員経験者の退職 は困るとのことです。

 「支部執行委員をやっていて、会社の秘密を知って いるので、そういう社員が(早期退職で)辞めては 困るが理由だ」とAさんは59才の労働者に話したそう です。

 話は変わりますが、以前現職の東芝労組中央執行 委員の方が、「会社の経営内容などのことについて、 私たち(中央執行委員)はよく知っている。」と話 していました。

 労働組合の活動上、会社の経営状況の把握は必要 ですが、慎重に節度を持って行動してほしいです。 組合が、会社に利用されてしまいますから。 


原発製造責任

2013年12月14日

東芝は原発を輸出しないで

 フィンランドでの原発新設に反対する住民組織 プロ・ハンヒキヴィの副会長ハンナ・ハルメンペー さんが2013年1月に来日し、東芝に原発輸出をや めてと訴えました。フィンランドのヒュハヨキに原 発建設の計画があり、東芝は原子炉を供給する 予定です。

原発事故で4千億円請求

 米国電力会社サザン・カリフォルニア・エジソン 社は、放射性物質漏れで廃炉となった原子力発 電所の蒸気発生器の製造元、三菱重工に対し、 4000億円の損害賠償を求めて、国際仲裁裁判所 に申し立てを行っています。

 原発は、トラブルを起こせば会社経営を揺るがし ます。

(東芝の職場を明るくする会編集)


脱原発

2013年12月9日

脱原発は世界的な流れ
自然エネルギーへ移行進む


ドイツ

 2022年までに原発の稼働完全停止を決定。 国内総発電量に占める再生可能エネルギーに よる発電割合
 ・2010年16.4%
 ・2011年20.3%
 ・2012年22.0%
 ・2020年35.0% (計画)  再生可能エネルギー関連の雇用者数も年々 増加し、2013年には38万2千人になりました。

イタリア

 1987年に国民投票で原発廃止を決定し、当時 稼働していた4基の原発を順次停止し、20年がた ちました。
 2011年6月、原発再開の是非を問う国民投票 が実施されましたが、原発再開反対票は95%に 達し、脱原発は国民の総意になっています。

リトアニア

 2009年、同国唯一のイグナリナ原発を閉鎖。 またビサギナス原発建設計画を進めてきました が、2012年10月に行った国民投票で反対が63% になり、計画を凍結しました。

米国

 この1年間で3基の原発の廃炉を決めました。
 ・クリスタルリバー原発(フロリダ州)
 ・キウォーニー原発(ウィスコンシン州)
 ・オイスタークリーク原発(ニュージャージ州)
 老朽化した原発の補修に巨額の費用がかかり、 天然ガスなどの発電と比べて、コスト競争力が下 がり、採算が取れないという理由からです。閉鎖 は今後さらに増えるとみられます。
 総発電量に占める原発の割合(↓低下)
 ・2011年19%
 ・2040年17%
 天然ガスによる発電の割合(↑増加)
 ・2011年25%
 ・2040年30%

(東芝の職場を明るくする会編集)


賃金の減収

2013年12月2日

年収48万円減収

 東芝などの資本金10億円以上の大企業の労働者の賃金は、 この15年間に48万円も減少しました。
反対に役員報酬は210万円、株主配当は7.6兆円、内部留保は 130兆円増えました。

派遣労働者はさらに深刻

 派遣労働者やパートを含めた全労働者の平均年収は、 1997年から減り続け、15年間で70万円減収になりました。

東芝2013年9月決算増益

 東芝の2013年9月の中間連結決算は、前年同月比で 増益になりました。
売上高   3兆392億円 前年比 13.2%増
営業利益  1,055億円  前年比 53.7%増

(東芝の職場を明るくする会編集)


リストラレポート9

2013年11月24日

東芝日野工場跡地
      利用をめぐって住民とトラブル

 東芝日野工場(東京都日野市)から携帯電話事業が 撤退して、7棟あった工場建屋はすべて壊され撤去され、 広い更地になっています。

 この跡地に三井不動産が高さ36メートル(12階建て 相当)、長さ約250メートル、幅約200メートルの巨大 物流施設の建設を計画しています。24時間365日稼働し、 大型トラックを含め1日約2,000台もの車両が出入り する予定です。

 周囲にはマンションや住宅・学校があり、住民からは、 日照の悪化、排気ガス・騒音などで地域の生活環境に 重大な影響を及ぼすとの批判が上がっています。

 9月には、日野市議会に建設中止を求める請願が提出 されました。11月10日には、「東芝跡地巨大物流センター 旭が丘住民協議会」が主催した、「巨大物流センターの 建設はやめて」の集会とパレードが行われ、約100人の 住民が参加しました。



リストラ、経費削減

2013年11月18日

社員の運動クラブが無くなった

青梅事業所で労働者が休み時間に話していました。

 「ラグビー部がなくなったね。」「全国から部員を 集めて、東芝ラグビー部(府中事業所)に追いつけ 追い越せで、猛練習していたのにね。」「部員の出向、 転籍が相次いで、部を維持できなくなったそうだよ。」
 「陸上部や野球部もなくなったね。」「会社からの 補助金もなくなて、たいへんだっといって頑張って いたのにね。」「青梅市では、東芝の陸上部や野球部は トップクラスで花形だったのに。」

 「水泳部はまだやっているけど、プールとして使って いる防火槽の水替えは年に1回になったんだって。」 「藻が発生して、顔を水中に入れて泳げないって言って たよ。」

リストラと経費削減がここまで進んでいるのかという 会話でした。


応援者の話

2013年11月10日

休日の食事に苦労しました

 2009年10月から3ヶ月間、加賀東芝エレクトロニクス に応援に行った社員から、再び応援のときのお話を 聞きました。

 加賀東芝エレクトロニクスの工場は、石川県能美市 岩内町1-1にあります。
能美市は、田畑の中にあり、点在している集落が集まって 市を作っているイメージです。

 工場は市の平地から山に入ったところにあり、自家 用車がないと通勤できません。
 応援者は、臨時に会社が借りたワンルームマンション に入りました。工場までの通勤は、会社が用意した マイクロバスが迎えにきます。市内のあちこちにワン ルームマンションを借りていたので、一番最初に迎えに くる社員は、始業時間の1時間30分前にバスに乗らなけ ればなりませんでした。

 仕事は製造現場で、交代勤務です。

 退社もバスで帰りますが、最後の人が降りるのは 1時間30分後になります。

 食事は、会社があるときは会社の食堂で食べれますが、 休日は困りました。こちら(京浜地区)のように、近く にコンビニなどがなくて、1時間ぐらい歩かないと、お店 がありません。
東京や神奈川から行った人には、生活リズムの順応に 悩まされました。



参議院選挙

2013年11月4日

労働組合からの支持押し付けは問題

 参議院選挙で東芝労組は、副中央執行委員長だった 石上氏(民主党から立候補)の支持を決め、組合員に 押し付けました。
会社も同調して社員に支持を強要しました。

 神奈川県内の東芝の職場で働く社員から、意見が よせられました。この社員は参議院選挙の時期は、 労働組合の職場委員をしていました。

●●●
 なにしろ支持を増やせ、確認しろという組合(執行部) からの指示(強制)がひどかった。紹介カードを集めて 提出するようにいわれたが、みんなの反発が強くて、 集まらなかった。投票に行ったかどうかの確認も、 会社と組合が一緒になって行った。
しまいには、こんな活動はいやになってしまった。
反発からほかの人に投票した組合員もいました。
労働組合が組合員に(特定候補者の)指示を押し付ける のは問題だと思う。
●●●

 この社員がいうように投票に行ったかどうかの確認は、 全社的に行われました。明るい会にも以前から意見が よせられていました。ある職場ではパソコンのメール 返信機能を使って、投票に行ったことを通知するように 強制されました。


リストラレポート8

2013年10月26日

子育て、親の介護でたいへん          EさんFさんの場合

 Eさんには就学前の子供がいます。Fさんは病気 の親がいて介護をしています。青梅工場(東京都) から大船工場(横浜市)にハードディスク事業が 移ると聞いたときたいへん困りました。

 職場の人達に子供がいること、親の介護をしている ことを何度も話して、青梅工場に残りたいと相談し ました。会社や労働組合の転勤に関する調査でも、 青梅工場に残してくださいと希望を述べました。

 EさんFさんの希望はかなわず、大船工場への 転勤になりました。片道2時間30分かけての通勤です。 会社を辞めると生活ができませんから、Eさんも Fさんも長時間通勤でも働かくしかありません。

 子供が(病気で)熱を出したらどうしよう。 親の体調が悪化したらどうしよう。心配しながら の長時間通勤です。

 会社の都合で転勤が行われ、社員は、新勤務地近くに 転居するか、EさんFさんのように長時間通勤をするか、 を強いられる、とても大きな負担です。  このような問題が起きないように、会社も労働組合も 対策を真剣に考えて、活動することが求められます。
(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業の リストラ取材から)


リストラレポート7

2013年10月20日

いまは倉庫で働く          Dさんの場合

 Dさんは、ソフトウェアの設計をしていました。 東芝社員の標準コースを歩んで、役職に なったのも、モデル年齢のとおりでした。設計の 仕事は毎日長時間労働ですが、ほかの人もそうなの で、一生懸命がんばってきました。

 ずっと東芝で働けると思っていたし、東芝以外で 働くことなど考えたことはありませんでした。事業の 見直しで職場がなくなると聞いたときも、東芝の ほかの職場に移って働ける信じていました。

 Dさんが最初に移ったのは、総務・勤労部に設け られた「出向グループ」という課でした。新しい職場 が決まるまでの仮の住まいの課です。ここでは、 コミュニケーション能力向上の研修や、自分のライフ スタイルを見直す講習などもありました。
「出向グループ」は陰で「追い出し部屋」と呼ばれて いました。

 新しい職場が決まった労働者は、次々に去って行き ました。しかしDさんの職場は決まらなくて、最後まで 残ってしまいました。
 いまは千葉県にある倉庫で働いています。この倉庫と 東芝のつながりは、東芝の製品を保管する倉庫という ことだけです。グループ会社でもありません。

 Dさんは、いまの自分の境遇は何なんだろうと、辛い 気持ちでいっぱいです。

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業の リストラ取材から)


リストラレポート6

2013年10月15日

仕事を選ばず、職場を何度も移る          Cさんの場合

 Cさんは、ほかの東芝社員と同じように、東芝で働く ことを誇りに思っています。仕事を第一に考えた生活 リズムで、自分の人生を歩んできました。

 毎日の残業、休日の出勤で、残業時間は毎月60時間を 超えました。Cさんの仕事は評価されて、Cさんは、 設計部の課長クラスの職制にもなりました。

 Cさんの結婚は遅くて、まだ子供も小さいです。奥さん も働いている共稼ぎ家庭てす。念願のマイホームも 建てました。

 今回のリストラでCさんの職場もなくなりました。 子供のこと、奥さんの仕事、家のローンなどを考えると 家族をともなっての転勤は無理です。

 Cさんは、家から通勤できる範囲で、東芝内の職場で 働けるよう希望をしました。そのため課長クラスの職制 の肩書き、待遇もすてました。平社員になれば、引き 取ってくれる職場があるからです。

 深谷工場でテレビの製造が忙しいときは、製造ラインの 組立作業をしました。その仕事がなくなれば、また他の 職場に移るということで、この3年間で青梅工場、日野 工場、深谷工場、府中工場の職場で働いています。

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業の リストラ取材から)


リストラレポート5

2013年10月7日

仕事の誇りを守り退社を選択          Bさんの場合

Bさんは品質管理の仕事一筋に働いてきました。

 コンピューター、パソコン、ワープロ、携帯電話 など、時代とともに担当する製品は変わりましたが、どれ も最高の品質でお客様に使っていただくために、全力で 品質向上に取り組んできました。

 品質管理の七つ道具といわれる技法、(1)特性要因図、 (2)チェックシート、(3)ヒストグラム、(4)散布図、 (5)パレート図、(6)グラフ ・管理図、(7)層別を縦横に 使いこなし、トラブル原因のデータを収集するため、 徹夜でテストランを行い、原因の解明と対策を見つけ 出してきました。
 温度試験をするときは、+50℃の試験室にTシャツ1枚 で入り、流れ落ちる汗を拭きながら頑張りました。 真冬のグランドでの評価試験をしたときは、手がかじかん で字を書くのもやっとでした。

 リストラで職場がなくなり、会社がBさんに示した仕事 は、家電製品販売店での店員や、倉庫での荷物管理の仕事 でした。しかも勤務場所まで長距離通勤でした。

 Bさんは会社に、品質関係の仕事で働きたい、提案されて いる仕事では納得できないと希望を強く述べました。 しかし会社は、Bさんの希望する仕事はないと回答する だけでした。

 Bさんは、会社の仕打ちに怒りがこみ上げました。そして 熟慮して退職の道を選びました。
品質の仕事を、自分の一生の仕事ときめていたBさんの選択 でした。

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業の リストラ取材から)


リストラレポート4

2013年10月1日

設計から現場へ          Aさんの場合

(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業の リストラ取材から)

 Aさんはコンピュータのプログラム(ソフトウェア)の 設計者として30数年働いてきました。
 プログラムの設計は、区切りのない仕事なので、朝から 深夜まで続きます。終電を区切りに一日の仕事を終えます。 集中力と体力がいる仕事です。職制にもなり、仕事に誇り を持って働いてきました。

 プログラムの設計も、いまは台湾や中国のメーカに外注 するので、東芝社内での設計は減りました。

 今回のリストラで、プログラムの設計の仕事がなくなり ました。会社が提示した配転先にも、プログラムの設計に 関わる職場はありませんでした。Aさんは引き続きプロ グラムの設計に関わる仕事をして行きたいという希望を 持っていましたが、熟慮して東芝の他工場の製造現場に 移りました。

 仕事の内容は、製造ラインに部品を供給する作業員です。 これまでの仕事で身につけた技術やノウハウは必要ありま せん。

 Aさんは、明るく元気に働いていました。「どんな仕事 もだいじ、ひとりでも欠けたら製品は作れない」と言って いました。



顧客満足度

2013年9月15日

顧客満足度の向上で雇用も守る

 明るい会の会員が、恩師の古希を祝うパーティーに出席 したら、知人から「東芝のパソコンの修理に時間がかかる」 と声をかけられました。話を聞いたら、その友人は東芝の パソコンを愛用しているとのこと、今回パソコンの修理を 依頼したら2週間かかったとのことで、もっと短期間で修理 できないかとのことでした。

 この明るい会の会員は、東芝の携帯電話事業の部門で 働いていたので、すぐにピンときたそうです。携帯電話の 修理に時間がかかり、au(KDDI)から「もっと速く修理を してくれ。東芝は他社と比べて修理に時間がかり過ぎる。」 と再三お叱りを受けていた経験があるからです。

東芝の経営方針は「顧客満足度の向上」です。

 7月23日、東芝は、パソコン、テレビ事業部門で働いて いる 400人の社員を削減し、他の事業部門に配転すると発表 しました。これらの社員はパソコンの知識を持つ専門技術者 です。このノウハウをパソコン修理に活用したらいかがかと 思います。修理部門の人員を増やし、パソコンの修理期間の 短縮を図り、顧客満足度を向上させます。同時に仕事(職場) が確保でき、雇用が守れます。

 このような施策は、担当部門まかせにするのではなく、 社長や取締役会がリーダーシップを取らないと進みません。 東芝は組織が大きい会社だからです。


リストラレポート3

2013年9月8日

リストラで会社の技術力が衰退

今回は、職場や労働者の声を聞いて、共通していた内容を まとめました。

●リストラは会社の経営方針による一方的なもの
 どの労働者も働き続けることを強く望んでいて、意欲も能力も 十分あります。先月までは残業もして頑張ってきたのに、 仕事のミスもしてないのに、リストラと言われて、ショック だったと語っていました。
 どの職場でもリストラは、一方的に上(会社)から降りてきた のが、ほんとうのところでした。

●できる人(技術を持った人)がいなくなった
 「そのこと(専門的な知識・技術)を聞こうと思っても、担当して いた人が(リストラで)いなくなって、もう分からない。」と 困惑がひろがっていました。出荷した製品の技術的問題の問い 合わせに、残った労働者が苦労していました。

 労働者が身につけている、専門的知識や特殊技能…ノウハウは、 それぞれの労働者が時間をかけて習得し、蓄積してきたものです。 それは余人をもって代えがたい財産です。リストラで労働者がいな くなると、その技術力も失われます。それは会社の技術力の低下に つながり、企業間競争力の弱体化を招いています。

●労働組合が力にならない
 労働組合は、会社のリストラ方針をそのまま受け入れるだけでした。 労働者がリストラの転勤に応じられない個別の事情を持っていても、 東芝労組では解決できないことを認識していました。
相談に行ったら、遠まわしにリストラの転勤に応じてはと、言われた 労働者もいました。


リストラレポート2

2013年9月1日

リストラの取材から

明るい会では昨年から、リストラに関わる職場内外の声を聞いて 歩きました。その中から今回は、職場外の声をいくつか紹介します。

●東芝青梅事業所の近くの不動産屋さんのお話では、横浜の 大船工場などに転勤する労働者のマンションの売却依頼を 5件ほど頼まれたとのことです。不動産屋さんによると、 横浜地域の家屋の価格は、青梅地域と比べて、すごく高い ので、あらたに家屋を購入するとなると、負担がたいへん とのことです。

●東芝を退職した労働者が、在職中の職場の仲間と、懇親会を 定期的に行っています。そのような集まりは、いくつもありま した。東芝で働いてきた誇りや、いまでも愛社精神を持っている ことなどが、懇親会の継続力になっているようです。
 ある懇親会では、日野工場が取り壊されると聞いて、そのようす を見に、日野工場に行かれたそうです。無念さがあったとのこと です。

●青梅事業所の退職者の組織、OB会の年一回の定期総会のときの ことでした。食堂でのレセプションのときOBの方達から「こんなに リストラをして、青梅工場はどうなるのか」「青梅工場もなくなって しまうのか」などと、心配する話がでていました。


リストラレポート

2013年8月25日
今回は、リストラされた事業所、工場のようすを お知らせします。

日野工場

 7棟あった工場建屋は、すべて壊され撤去されています。 ここに6階建のビルや体育館があったことさえ、分からなく なっています。いまは広い更地に夏草が茂っているだけです。

 金網に三井不動産の標識がかけてあり、近いうちに物流 センターを建てるようです。

青梅事業所

 産業道路に6階建のビルが2つ面しています。以前はどの階の 窓も深夜まで灯りが点いていて、東芝の不夜城と呼ばれていました。 いまは夜7時には、どの窓も灯りが消えています。

 北門では、荷物を運ぶ物流トラックの出入りもありません。 正門は、以前は夜の9時まで開いていたのが、いまは夜の7時に 閉まるようになりました。

深谷事業所

 JR高崎線の線路側から見ると、夕闇のなかに黒々と工場建屋が 並んでいます。どの建屋も灯りが見えません。人の姿もありま せん。
3年前まで24時間フル稼働でテレビの製造が行われていたのが、 うそのようです。

北九州工場

 出入りする人が見えません。ほとんどの労働者が姫路工場 などに転勤したり、地元に残るため東芝を去りました。


査定2

2013年8月18日

一時金の査定


 京浜事業所で発電機を製造する現場の一時金の査定です。 査定表は、10年前に書かれたものです。

 査定表は、縦軸に社員の名前が書かれています。横軸に 評価項目が書かれています。評価項目は、作業技術力、 作った製品の品質度、勤務態度など十数項目です。

 社員ごとに、各評価項目に点数が入っています。点数は 1〜10点で付けられています。点数が高いほど評価が良い ことになります。評価は、課長と製造長が行っています。 合議で行うのか、製造長が1次評価、課長が2次評価 というように段階評価で行うのかは、分かりません。

 査定表全体の見て評価の傾向を読み取ると、若い人は低く、 年齢が上がるにつれて点数も上がっています。評価者に気に 入られている(取り行っている)社員は、点数が高くなって います。特に勤務態度に関わる項目は高い点数です。

 年功序列、評価する課長や製造長の主観は、評価の大きな 要素のようです。


査定1

2013年8月11日

主務への昇格


 青梅事業所のパソコンを設計する職場で、平社員から 主務に昇格させる基準です。

 期ごとの評価が、基準を上回っていて、それが3期続いて いることが、標準の条件です。そうすれば、部長が昇格の 推薦を勤労部に提出して、認定を受けて主務になります。

 期は、6ヶ月をさすのか、1年をさすのか分かりません でした。

 大学を卒業して、30才前後の社員が対象になります。 部長やグループ長(課長)は、だれを主務にするか意識的に、 政策的に動きます。この社員を主務に昇格させようと目を つけると、3期連続評価を基準以上にします。

 声が大きい、目立つ、社交的な社員は昇格年齢が早い 傾向にあります。
また労働組合の代議員や職場委員をやっている(やっていた) 社員は、評価を良くします。


リストラ

2013年8月4日

テレビ、パソコン事業で400人の人員削減


 7月23日、東芝はデジタルプロダクツ事業(テレビや パソコンなど)の損益改善のため、正社員の20%にあたる 400人を削減すると発表しました。400人は2014年3月までに、 東芝の社会インフラ事業部門などに配置転換するとのこと です。

職場から意見が寄せられました。
・この1年間でデジタルプロダクツ事業部門は1,200人の 人員削減をしました。まだ行き先が決まっていない人もい ます。新たに400人を追加削減するなんて、もう行き先は ないです。

・自分がどうなるか不安だ。


参議院選挙

2013年7月28日

労働組合から選挙の活動の指示


 こんどの参議院選挙に、東芝労働組合副中央執行委員長だった 石上氏が、民主党から立候補して当選しました。

 3ヶ月前の5月、中部地域の東芝の職場から、明るい会によせ られた相談です。

 労働組合から石上さんの選挙活動をするように言われました。 紹介カードを職場の皆に書いてもらい、集めて提出するようにとの ことです。カードに書かれた人には(石上事務所から)電話をする ので、了解をとってくださいとのことでした。

 職場では反発が強くて、紹介カードが集まりません。(何にもして くれない労働組合なのに、なんでカードを出さなきゃいけないんだ などと)

 相談者は、どのように対応したらよいですかと、悩んでいました。

 また京浜地域の職場からは、東芝健康保険組合から石上氏のパン フレットが送られてきました。民主党から立候補するのに、その ことは書かれていません。との連絡も届いていました。

 ほんらい労働組合は、賃金や職場の安全など、労働条件の向上の ため、全労働者が団結して、会社(経営者側)と交渉、闘う組織です。

 全労働者が団結するためには、思想信条、政党支持などの違いは 認め合い、共存・協力するのがルールです。労働組合が特定政党、 特定候補者の支持を押しつけるのは、ルール違反です。しかも会社 (経営者側)と一緒になって強制するのは、重大な選挙違反です。


社長人事

2013年7月21日

東芝の社長交代がマスコミで話題に


 このほど行われた株主総会で、社長が佐々木氏から田中氏に 交代しました。また西田会長が留任し、佐々木氏は副会長にな りました。

 これまでの東芝の人事は、社長から会長へ、その次は相談役 になっていくのが通常の流れになていました。したがって今回 の人事は異例のことです。

 2年ほど前から「デジタルプロダクツ事業の将来方針が出せ ていない」、「社長と事業部幹部との間がスムースでない」など の意見が、職場で話されていました。明るい会にもいろいろと 意見がよせられていました。

 たしかに社長の資質によって、会社経営が混乱することもある と思います。そのようなことが起きたら取締役会や、事業部幹部 の努力によって是正していくのが理に合った道です。会社経営は、 取締役会が責任をもって行っているからです。

 また労働者の労働条件や会社経営の方針などについては、経営者 (取締役会)と労働者の代表(労働組合)の交渉によって決めてい くのがルールです。

 明るい会は以上のような原則に立って、今回の問題で職場から よせられていた意見を、ホームページに記載することを見合わせ ました。また誤解が起きないように、慎重に対応しました。


自主退職

2013年7月15日

青梅事業所で頑張って働き続けてください


 東芝青梅事業所を昨年自主退職された労働者から、 伝言メールが届きました。以下にその主旨を紹介します。

 私は必死に勤めてきました。職場の仕事が次々に減って いき、従業員があちこちに応援に出される現状を見ていく 内に、さまざまな不安が脳裏をかすめるようになりました。 会社の将来への不安から、昨年自主退職しました。

 現在ハローワークにて求職活動をしていますが、なかなか 就職先が決まりません。「やはり退職しない方が良かったの では」と思うこともあります。
今はほんとに就職難です。数少ない求人に、たくさんの人が 応募して、席の取り合いをしているのが現状です。労働条件 も劣るところが多く、年間休日が60日〜90日しかなく、給料 も年収にして200万円前後のところがゴロゴロしています。

 今年になってからも青梅事業所の従業員が、何人も自主 退職しているのを聞き、非常に気になります。リストラなど で無理やり辞めさせられるのではなく、自主退職を考えている 方は、ぜひ思いとどまり、青梅事業所でがんばって仕事を続け てほしいです。

私みたいな人が出ないように、東芝の業績が回復するように 祈ります。           元青梅事業所労働者(男性)


株主総会で質問

2013年7月10日

従業員の再配置は希望どおり行なっているか


 東芝の職場を明るくする会は、6月25日の株主総会にあたり、 事前に質問書を提出して、回答を求めました。

 質問の一つの「北九州工場や青梅事業所での事業の見直しに ともなう、従業員の配転、転籍、職場の確保は、希望どおり 行っているか。その進捗状況はどうか。」について、 社長は「再配置は、すべて済んでいます。」と答えました。

 明るい会の調査では、北九州工場の閉鎖に伴って、姫路工場 などへの遠隔地転籍できず地元に残り、三井業際ヒューマン アセット株式会社に登録したら、再配置完了としています。
三井業際ヒューマンアセット株式会社が、必ず再就職先をあっせ んしてくれるという保証はないのです。東芝は、仕事が見つかる まで責任を負べきでないでしようか。


株主総会

2013年7月6日

東芝の株主総会が行われました。


・第174期 定時株主総会
 1.日 時 2013年6月25日 (火) 10時00分〜12時14分
 2.場 所 国技館
 3.出席数 5,740名 (株主総数 446,001名)
 4.質問者 13名

姫路工場で働く女性社員が質問
残業代が時間どおり払われない!

 株主総会が終わりに近づいたころ、一人の女性が 質問に立ちました。以下そのときの概要です。

 私は北九州工場の閉鎖で、北九州から姫路工場に 転勤になりました。私の子供もそうです。
 半導体事業が厳しいと、セミコンダクター社の社長 から各社員に通知が来ています。
 残業しても、残業代が働いた時間どおりに支払われ ません。休日出勤しても、休日出勤手当を払わなく て済むように、代休を取らされてしまいます。

 これについて社長は、
私の責任で調査しますと答えました。


退職者から

2013年6月30日

再就職したいけど仕事が見つからない

 パソコン・テレビ事業の先行き不安から自主退職した人から、連絡が ありました。

 会社が紹介・勧めてくれた民間の職業紹介会社「三井業際ヒューマン アセット株式会社」に登録して、就職活動をしています。

 三井業際ヒューマンアセット株式会社関連の立川オフィスに行って、 再就職支援を受けています。行って分かったのは、三井業際ヒューマン アセットを利用しているのは三井グループの人達だけではないという ことです。

 この一年、電機産業でリストラされた人数は13万人になりますが、 その退職者、NECやルネサンスの元社員が多数登録していて、順番待ち 状態で、後発の東芝出身の私に仕事が見つかるだろうかと不安になって います。

 東芝関連会社の求人(募集人員1名)に申し込みをしました。その会社に 連絡をして応募状況、採用基準を聞きました。
 非常にたくさんの応募者になっているとのこと。どの応募者も学歴、資格、 職歴もすばらしく、優劣はつけられないとのこと。
結局一番若い年齢の人を採用するようです。

 50代では、再就職難しいと落ち込んでいます。

●三井業際ヒューマンアセット株式会社

設立   2004年6月4日
       三井グループを結集しての人材サービス事業会社
資本金  9300万円
住所   東京都港区赤坂3−11−3
事業内容
     1.転職に関するご支援
     2.求人に関するご支援
     3.再就職に関するご支援
     4.社員研修等に関するご支援


青梅事業所の社員数

2013年6月20日

正社員 1,000人も減る!

 青梅事業所の社員数が減り続けています。1年5ヶ月で正社員は1,000人減り ました。グループ会社の社員、派遣社員、請負会社の社員も、正社員数に 比例して減っています。

   正社員数の場合
     2011年 7月 2,684人
            ↓
     2012年12月 1,667人

 原因は、@ハードディスク装置(HDD)事業の見直しで、従事者全員を 横浜事業所や大船工場へ配転したこと。Aパソコン・テレビ事業の見直しで、 人員削減を進めていること。などがあげられます。

 長い間3,500人以上の人が働き、資材を搬入・搬出するトラックの頻繁な 出入り、昼食時の食堂は混雑緩和のため3交代で利用、終業後に開店する 従業員クラブの賑わいなどが、なくなってしまいました。

 東芝青梅事業所は、東京青梅市における最大の工場で、たくさんの下請け 会社がありましたが、下請け仕事がなくなり廃業に追い込まれています。 地域経済への影響は多大です。


青梅事業所の退職者数

2013年6月15日

140名の大量退職!

 青梅事業所では2013年3月末に140名が退職しました。

45名…定年または定年扱い退職者
95名…パソコン・テレビ事業などの見直しで、配転先が希望と合わず 自主退職した人。事業の先行き不安から自主退職した人など。


東芝TMCPの
リストラ9

2013年6月6日

職場復帰を勝ち取る!

 東芝モバイルコミュニケーションプロダクツ(略称:TMCP)を突然 不当解雇された5人の労働者は、8か月におよぶ闘いのすえ、ついに職場 復帰を勝ち取りました。

 4月1日から「東芝情報機器株式会社」で働くことになり、毎日元気よく 通勤・出社しています。

 携帯電話事業からの撤退にともなうリストラで、退職強要の肩たたきを 拒んだら、会社が一方的に解雇通知を送りつけという無法な乱暴な行為を 行いました。

 驚き途方にくれた5人は、労働者の雇用や暮らしを守る活動をしている 「東芝の職場を明るくする会」を知り、どうしたらよいか相談したのが闘 いの始まりでした。

 5人の労働者は泣き寝入りせず「自分たちは何も悪いことをしていない」 という、当たり前のことを貫いて闘ったことが、勝利につながりました。
東芝の職場を明るくする会は、5人を全力支援して活動してきました。


東芝のリストラ

2012年11月24日

東芝コンピュータテクノロジー 
    社員80人を出向させる

 東芝コンピュータテクノロジー(略称:TCOT)は東芝青梅 事業所内で、パソコンやハードディスクを製造してきた東芝グループ 会社です。パソコンやハードディスクの製造が海外に移転し仕事が なくなったため、社員80人を東芝情報機器株式会社に出向させます。 (1年後には転籍になる。)

 勤務地は、東芝情報機器株式会社 検見川事業所 千葉市美浜区  です。2013年1月から実施です。業務は、パソコンの保守部品管理、 修理です。

 東京青梅市から千葉市美浜区までは遠過ぎて通勤(片道約3時間) はむりと言われています。出向できなければTCOTを退職して、 会社が斡旋する「民間の職業紹介会社」を利用して、就職活動を するように言われています。


東芝DS社の
リストラ3

2012年11月17日

深谷工場から青梅事業所へ大移動

 11月23日〜25日にかけて深谷工場から青梅事業所へ、DS社関係の 従業員(500〜800人といわれている)が移動します。

 この10年間で深谷→青梅→深谷→青梅と転勤を繰り返した従業員も います。会社および会社幹部の都合ばかりで、従業員を将棋の駒の ように動かすのはいかがなものかと意見が出ています。 


東芝TMCPの
リストラ8

2012年11月10日

解決に向けて進行中

 東芝モバイルコミュニケーションプロダクツ(略称:TMCP)が、8月2日 に突然5人の労働者に解雇通知を送りつけという乱暴な行為を行ってから4ヶ月 たちました。

 現在の状況は、5人の労働者が会社と粘り強く交渉を行って、5人を東芝 グループ会社で正社員として雇用するというところまで、進んでいます。

 東芝の職場を明るくする会は、5人を全力支援して活動してきました。 5人の労働者と会社の交渉が複雑に推移していたので、配慮してホームページ での報道を控えてきました。

 完全解決が行われましたらお知らせします。


東芝のリストラ

2012年9月1日

再就職先が決まらない

 東芝モバイルコミュニケーションプロダクツ(略称:TMCP)を リストラされた労働者から寄せられ話です。

 会社が斡旋した「民間の職業紹介会社」を利用して、就職活動を 行っています。その「職業紹介会社」に登録されている求人票を見て、 希望先を紹介してもらう仕組みです。

 求人票と実際とがアンマッチしていて、うまく行かないとのこと です。ある希望先の紹介を依頼したら、「職業紹介会社」から 「その求人票は数年前(5年前?)のものです。」との回答。 「そんな古い求人票を見て希望を出さないでください。」との ことでした。

 公共の職業安定所(ハローワーク)を利用しても、なかなか仕事が 見つからない時代です。「民間の職業紹介会社」なら必ず仕事が 見つかるとの保証はないようです。


東芝TMCPの
リストラ6

2012年8月2日

会社提案の再配置先を検討
 …なのに突然の解雇通知…

 東芝モバイルコミュニケーションプロダクツ(略称:TMCP)と、5人の 労働者の第4回団体交渉が7月17日に行われました。
 この席で会社側から再配置先の提案がありました。勤務地は自宅から電車で 2時間以上かかります。自宅からの通勤は無理かなと思える距離ですが、持ち 帰ることにして、この日の団体交渉を終わりました。

 団体交渉後、5人の労働者が話し合いをして、会社提案の再配置先 「東芝情報機器株式会社」を検討することにしました。
 7月中に会社と再度の団体交渉をして、その旨を伝えることにしていました。 ところが会社から何の連絡もなく、団体交渉が延び延びになっていました。

 そしたら突然、8月2日の日に会社から郵便で「解雇」通知が届きました。 これは何か、手続きミスではないかと、現在確認を急いでいます。
 団体交渉の席でもこんな話は出たこともなく、株主総会での室町副社長の回答 でも示されたように「丁寧な対応」で早期の解決をする(お盆8月15日前までに) で進んでいました。会社側でなにがおこったのか、何の情報も無いので分かりません。 確認できしだいお知らせします。


DS社のリストラ2

2012年7月28日

再配置先に海外も

 東芝デジタルプロダクツ&サービス社(略称:DS社)の事業見直しで、生産・調達・品質 の海外拠点への移管にともない、人もそこへ配置転換するとのことです。

 DS社を青梅事業所に集約するため、現在深谷工場にいるDS社の従業員500人を 青梅事業所に転勤させます。その後青梅事業所から約200人を海外の東芝グループ会社に 配置転換するとのことです。

 これには職場から驚きの声が上がっています。


DS社のリストラ1

2012年7月18日

テレビ、パソコン事業の見直し

 会社は7月12日に「デジタルプロダクツ事業における構造改革の実施について」 を発表しました。
 東芝デジタルプロダクツ&サービス社(略称:DS社)の担当しているテレビと パソコン事業を見直すということです。

 事業を東芝グループ会社に移管して、同時に社員約1,200人もグループ会社に 配置転換させる内容です。これを2013年3月までに実施するとのことです。

 事業を移管させるグループ会社として東芝メディア機器株式会社(青森県三沢市) が上げられています。職場では「青梅(東京都)から三沢には、遠過ぎて移れない」 と心配の声が出ています。


転勤

2012年4月18日

負担の大きい転勤

 転勤は、家族の事情やマイホームの問題などで、精神的にも経済的にも 大きな負担がかかります。
青梅事業所・東京から四日市工場・三重県に単身赴任した労働者の話です。

 1ヶ月約47,000円支給されます。会社が斡旋したアパートに入居しても、 家賃が約10,000円かかります。光熱費も払わなければなりません。
東京駅と名古屋駅間の電車賃が往復21,960円です。家族のもとに思うように 帰れません。単身赴任手当だけでは、暮らしていけず、経済的に持ち出しです。


転勤を考える

2012年4月11日

雇用と地域経済を守る社会的責任

 技術の進歩や消費者ニーズの変化によって、これまで製造してきた製品の 需要がなくなり、生産量を縮小したり、生産を終了したりすることは、 避けられなく起きることです。そこで働いていた労働者が、新しい仕事や 職場に移るのも、やむをえないことです。
会社は、新しい仕事や職場に移る労働者の負担を最小限にする義務があります。

 また労働者が配転でいなくなれば、地元の経済と雇用に計り知れない影響が 起きます。したがって会社は、雇用と地域経済を守る社会的責任も持っています。

                       東芝の職場を明るくする会


パソコン事業

2012年3月28日

がんばるぞ DynaBook(ダイナブック)

 東芝のノート型パソコンは、DynaBook(ダイナブック)の愛称で親しまれ、 一時期は世界でシュアが30%にもなりました。

 近年は台湾、中国、韓国の廉価なパソコンに押されて、日本のメーカの 中には、パソコン事業から撤退したところも出ています。

 東芝のパソコン事業も厳しい状況ですが、職場の労働者の意気込みは高く、 開発、製造に励んでいます。パソコンの設計ひと筋で働いてきた50代の 労働者は、「必ずDynaBook(ダイナブック)を再生させる」と語っていま した。職場で「会社もそのような方針でがんばれ」と檄が出ていました。


転勤

2012年3月14日

親の介護があって困っています

 パソコンなどの記憶装置として使われているHDD(ハードディスク)は、 SSD(半導体のフラッシュメモリ)に取って代わられつつあります。
 将来を見通して、HDD事業の人的資源をスムースにSSD事業に移行する ねらいから、HDDの事業に従事する青梅工場(東京)の労働者約1,200人を、 SSD開発の拠点である横浜・大船工場などに配転する準備を進めています。 (それは会社経営としての行いですから、良いとか悪いとかは言いません。)

 個人の事情によって、どうしても転勤できない人もいます。明るい会にも 配転の対象になっている労働者から相談がありました。
・家族の介護があるので青梅を離れられない。
・青梅に持ち家があるので、横浜に移れない。家族を置いての単身赴任はできない。

 これらの相談者に対して、「労働組合も個別問題に対応する」と言っているので、 手順をふんで労働組合に相談するように話しました。がんばれは、必ずいまの自宅 から通勤できる職場に移れるからと、励ましました。困ったら明るい会にすぐ連絡 くださいとお願いしました。


転籍

2012年3月7日

賃金25%のダウン

富士通東芝モバイルコミュニケーションズ株式会社に転籍した労働者から届いた話です。

 東芝は2010年10月1日付けで携帯電話事業を富士通に譲渡しました。 東芝日野工場から約300人が、富士通のグループ会社「富士通東芝モバイル コミュニケーションズ株式会社」に移りました。1年間は東芝からの出向と いう形でしたので、賃金も東芝のときと同じでした。

 1年間が過ぎた2011年10月1日からは、東芝と完全に縁が切れて、身分は 「富士通東芝モバイルコミュニケーションズ株式会社」の社員になりました。 そのとたん賃金が25%も下がってしまったとのことです。

 東芝時代は役職が「主務」で、手当てがありました。さらに賃金制度によって 残業時間数に換算すると数十時間分の賃金加算もありました。富士通東芝モバイル コミュニケーションズ株式会社では、「主務」の役職もなく、賃金制度も東芝と 違うため、賃金の大幅ダウンが起きてしまいました。約300人の転籍者は、 みなさんショックを受けているとのことです。


北九州レポート3

2012年2月22日

工場閉鎖計画は撤回して、雇用を守ってほしい  北九州市議らが要請

 東芝は北九州工場を閉鎖して、働いている従業員522人を 以下のように配置転換・異動させる予定です。
豊前工場(福岡県豊前市)へ100人
加賀東芝(石川県)へ    130人
姫路工場(兵庫県)へ    292人

 2月20日に、北九州市議会の日本共産党市議団5名と関係者6名が、 北九州工場を訪れて工場閉鎖計画の撤回を要請しました。
要請は次のような内容で、職場や地域の声を強く代弁するものでした。
@東芝は雇用確保に責任をもつ。
A異動に応じられないことを理由に退職誘導は絶対に行わない。
B女性(約100人)も含め、異動に応じにくい方々には特別の配慮を行う。
C工場への依存率の高い取引先企業に東芝として責任をもつ。


雇用延長

2012年2月15日

どうして東芝で65歳まで働かないの?  ハローワークにて

東芝を退職した労働者「就職したいので相談にきました。」
ハローワークの職員「 はい、書類を見せてください。あれ、あなたは東芝に 勤めていたんですね。なんで65才まで働かないの。」
労働者「東芝は60才が定年なんです。」
職員「いまは(大手企業は)みなさん雇用延長して働きますよ。」
労働者「東芝にはそういう制度(雇用延長制度)がまだきちんとしてないんです。」
職員「………?」

しばらくの間、最近の求人状況、就職状況について話し合いが行われる。

職員「東芝で働いたほうが良いと思いますが。」
労働者「そういう制度になってないのですみません。」

この日のハローワークでの就職相談が終わる。

(昨年東芝を定年退職した労働者からの話です)



北九州レポート

2012年1月22日

東芝は地域経済守れ  北九州工場閉鎖の撤回を

 東芝の奥住直明産業政策渉外部長らは、1月16日、衆院第1議員会館で赤嶺政賢 衆院議員(日本共産党)などから、北九州工場の閉鎖・事業縮小を撤回して、雇用と 地域経済を守るようにとの要請を受けました。

 東芝は北九州工場の閉鎖を、昨年11月末に突如発表しました。530人の正社員 を石川県などに広域配転し、6月には生産を中止して、9月までには完全撤退する 計画です。

 東芝は、北九州工場について北九州市から最近10年間に補助金2000万円、 国からは「低炭素型雇用創出産業立地推進事業費」を2009年度に13億円、 10年度に20億円を受けています。

 福岡県や北九州市に事前説明・協議をしなかったことについて、東芝側は「同業 他社に情報がもれる」と言い訳しましたが、「東芝は自治体から多大な支援を受け ている。事前説明は最低限のルールだ」との批判が出ました。「地元の経済と雇用に 計り知れない影響を与え、福岡県知事も北九州市長も見直しを求めている」話も出 されました。

 要請のなかで「家族の事情などで広域配転に応じられない人もいる。雇用が失わ れれば、内需が冷え込む。大企業こそ、目先の利益を追うのではなく雇用を守るべきだ」 との訴えもありました。

(写真)工場閉鎖の撤回要請を受ける東芝の渉外担当者


北九州レポート

2012年1月8日

突然の東芝北九州工場閉鎖の発表

 東芝は2011年11月30日、セミコン社グループの北九州工場の閉鎖を発表 しました。突然のことで、職場、福岡県、北九州地域に大きな反響と 「白紙撤回しろ!」の声が上がっています。
 

福岡県知事、北九州市長、市議会が撤回を要求

  福岡県知事、北九州市長は東芝の強引なやり方に撤回の意思を表明、 12月15日には東芝佐々木社長に撤回の要請をしました。また北九州市議会は 全会一致で閉鎖撤回を決議し、東芝北九州工場長に申し入れました。
東芝は、北九州市、国などから設備投資や雇用に雇用に対する援助を 受けています。地域経済への責任は大きく、工場閉鎖は白紙撤回すべきです。


雇用を守れ

2012年1月8日

雇用を守り、社会的責任を果たせ

 「…経営悪化を理由に、非正規社員の更新がされなくなりました。 …長年働いてきた人に対して平気で切り捨てる会社の態度に怒りを感じます。」 同じように働いて立場の弱い人が人間扱いされないのでしょうか。」本社の Sさんから声が寄せられました。
 安い賃金で働き、会社の方針が変われば真っ先に解雇される非正規社員。 雇用を守るのは、東芝の責任です。そして「東芝の労働組合が雇用と生活を守る 闘いで頑張ってほしい」と期待も寄せられています。