[職場だより] 2015年10月05日 東芝再生への道2
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東芝再生への道2
1. 東芝の苦悩
日本の電機産業は1950年代から70年代まで急成長を
続けてきました。80年代に入ると、生産性の向上で
製品の慢性的供給過剰状態による販売競争の激化や、
韓国、台湾、中国など世界の電機メーカとのグロー
バル競争にさらされ、競争に負けるメーカが出るなど、
厳しい経営状況になりました。
メーカ間の競争激化は、東芝の経営も厳しくして
いきました。1995年度から利益が減少をたどり、
ジリ貧状態におちいりました。すべての事業が落ち
込みました。
利益 億円
1996-03 2,626
1997-03 1,978
1998-03 823
1999-03 305
1998年9月 西室社長(当時)の発言
1998年度上半期は、単独の売上高、経常損益とも、
残念ながら大幅な減収減益となりました。しかし、
この厳しい事業環境の中でも、業績を上げている
同業他社もあるわけですから、事業としての対応力
あるいは戦略面で、われわれにも問題があったこと
は認めざるをえません。
要するに、「もう1年頑張らせてください」、
「わかった、あと1年だけだぞ」を繰り返す体質
から抜けられなかったわけです。
そうですね。今後、エレクトロニクス業界は、
否応なくグローバルコンペティション(世界規模の
競争)に突入します。その認識をもとにした場合、
エアコン、冷蔵庫、洗濯機などの白物家電や重電には、
これまで国内での収益が確保できてきた甘えがあ
ります。
国際化への対応を急がねばなりません。同様に、
「東芝」というブランドへの信頼感が意識せずとも
確保できた時代は終わったと思います。これからは
グローバルな市場で「TOSHIBA」ブランドを意識的に
高めるアプローチが必要になってくるでしょう。
2. 東芝 経営改革に着手
●1998年06月
「集中と選択」の経営を始める。
執行役員制度を導入し、取締役を33名から12名に
削減した。製品ごとの事業運営は、執行役員に
よって迅速な意思決定が可能となるように、本社
からの権限を委譲した。
●1999年04月
社内カンパニー制にして、自主責任経営体制を整備
●2001年
ITバブルが崩壊し経済不況になる。
●2001年09月
「01アクション」と呼ぶ大リストラを実施
(日本国内の雇用は、「就職氷河期」が起きる。)
●2003年03月
中期経営計画を策定…主力事業の3本柱を強化
●2004年06月
NAND型フラッシュメモリに2,700億円の投資
●2006年02月
ウェスチングハウス社買収
【資料】グローバル競争の厳しさを見る
●白物家電、半導体
日本製品の世界シュア
1985年→2003年
録画再生機 82.9 → 32.9 %
電子レンジ 64.6 → 27.6 %
テレビ 46.5 → 33.7 %
半導体 42.0 → 28.0 %
・アナログ時代は、部品同士を組み合わせて調整し、
高品質の製品を作る能力をもつ、日本のモノづくりの
強さが発揮できた。
・製品のデジタル化、モジュール化の進展は、世界中
どこでも同じ品質でモノが作れるようになった。
その結果、賃金が安い国で、同じ品質の製品が作れるなら、経済の
市場競争原理が働き、企業は賃金が安い国に生産を移転する。
●ハードディスク (HDD)
2008年10〜12月時点
1 シーゲート 米国 31.7 %
2 ウェスタンデジタル 米国 26.0 %
3 日立IBM (HGST) 日本 17.1 %
4 東芝 日本 17.0 %
5 サムスン 韓国 8.2 %
・現在、日立IBM、サムスンは、ハードディスク事業
から撤退してしまいました。
・近い将来ハードディスクは、SSD (半導体のフラッシュメモリ)
に取って代わられる。そうすると従事している労働者の失業問題が
起きる。
●携帯電話
2009年8月時点のデータ
・2008年度 携帯電話販売台数シュア
シャープ 22 %
パナソニック 17 %
NEC 12 %
富士通 10 %
東芝 8 %
ソニー 8 %
カシオ 5 %
京セラ 5 %
日立 4 %
アップル 2 %
三菱電機 08年撤退
・2009年4〜9月の販売予想台数は1,680万台でした
が、メーカーの生産能力は合計で4,000万台にも
なり供給過剰状態が続いていました。
・東芝のシュアは、2005年度は1位でしたが、
2006年度は2位、2007年度3位、2008年度5位と下がり
続けました。
2010年10月に携帯電話事業を富士通に
売却しました。
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