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[職場だより] 2015年09月27日 東芝再生への道
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東芝再生への道
2015年4月、東芝の粉飾決算が明るみに出ました。
毎年度末の決算報告を不正に処理して、7年間で
1,500億円を超える利益の積み増しを行っていました。
赤字の事業を、黒字に見せかけ、利益が上がって
いるように報告し、7年間も続けて来たため、事業の
継続、資金繰りなどは、危機的状況におちいっています。
東芝・東芝グループ会社で働く20万人の社員は、
「寝耳に水」で職場に衝撃が走り、「会社がつぶれる?」
と不安が広がりました。
東芝の職場を明るくする会は、職場の社員の声、率直な意見を聞きました。
それらを集めて、粉飾決算へ走った要因や東芝再生への課題を考えてみました。
ホームページで何回かに分けて報告していきます。
東芝再生の一助になればと願っています。
東芝の職場を明るくする会 代表 石川要二郎
総合電機メーカを製品ごとに分社化
1990年代後半から2000年代前半にかけて東芝は、
「集中と選択」というスローガンを掲げて、総合電機
メーカとして一つでやってきた経営を、製品(事業部門)
ごとの会社に分けて(分社化)、各社が独立採算制で
事業を行うように、大きく経営方針を変えました。
この経営方針は、2008年8月までは世界の景気が
右肩上がりに好調だったこともあり、順調でした。
この当時の社長は西田厚聰氏でした。
分社化は、総合電機メーカとして各事業部門で
支え合う機能を喪失してしまい、事業環境や景気の
変化に弱くなりました。
2008年9月のリーマンショックで、半導体事業が、
2011年3月の東日本大震災で、原子力発電事業が
大きな影響を受けて、経営はいっきに悪化しました。
この当時の社長は佐々木則夫氏でした。
2008年9月のリーマンショック以降の経営悪化を
隠すため、粉飾決算が行われるようになりました。
2013年に田中久雄氏が社長になりましたが、粉飾
決算は続けられました。
東芝の社長
1996年6月 西室泰三 氏
2000年6月 岡村 正 氏
2005年6月 西田厚聰 氏
2009年6月 佐々木則夫 氏
2013年6月 田中久雄 氏
2015年7月
東芝の売り上げと利益をグラフで示します。
(総合電機メーカを製品ごとに分社化する
なかで、粉飾決算が起きました。分社化の
経営方針が悪かったとは一概に言えません。
職場の声や意見を聞くと、防ぐことはできた
と思うことがたくさんありました。それらの
意見を元に、次回以降報告を続けます。)
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