[職場だより] 2013年10月20日 リストラレポート7
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いまは倉庫で働く Dさんの場合
Dさんは、ソフトウェアの設計をしていました。
東芝社員の標準コースを歩んで、役職に
なったのも、モデル年齢のとおりでした。設計の
仕事は毎日長時間労働ですが、ほかの人もそうなの
で、一生懸命がんばってきました。
ずっと東芝で働けると思っていたし、東芝以外で
働くことなど考えたことはありませんでした。事業の
見直しで職場がなくなると聞いたときも、東芝の
ほかの職場に移って働ける信じていました。
Dさんが最初に移ったのは、総務・勤労部に設け
られた「出向グループ」という課でした。新しい職場
が決まるまでの仮の住まいの課です。ここでは、
コミュニケーション能力向上の研修や、自分のライフ
スタイルを見直す講習などもありました。
「出向グループ」は陰で「追い出し部屋」と呼ばれて
いました。
新しい職場が決まった労働者は、次々に去って行き
ました。しかしDさんの職場は決まらなくて、最後まで
残ってしまいました。
いまは千葉県にある倉庫で働いています。この倉庫と
東芝のつながりは、東芝の製品を保管する倉庫という
ことだけです。グループ会社でもありません。
Dさんは、いまの自分の境遇は何なんだろうと、辛い
気持ちでいっぱいです。
(携帯電話、ハードディスク、パソコン、テレビ事業のリストラ取材から)
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