2010年 2009年
東芝と防衛省

2011年12月7日

◆東芝 防衛省に賠償提訴 93億円
   第1回口頭弁論 11月25日 東京地裁103法廷で行われる◆

●事件の経過
 航空自衛隊 F15戦闘機用の偵察カメラ機器の製造を、2008年に防衛省が 東芝に発注した。しかし、出来上がったカメラの性能が要求を下回るという理由で、 防衛省は契約を2011年2月解除した。
そして防衛省は東芝に違約金12億円を請求したが東芝は支払いを拒否した。 反対に東芝側は、カメラの性能は要求を満たしているとして、契約代金93億円 の支払いを防衛省に求め提訴した。

●東京地裁103法廷のようす
 原告東芝側の弁護士は3名、被告防衛省側の弁護士も3名であった。 傍聴者は約50名で、主に東芝の社員であった。東芝の社員は、みなさんビジネス スーツを着用していた。
第1回目ということもあり、東芝側の証拠提出が主で、20分で閉廷となった。 次回の法廷は3月25日に行われる。

●職場のようす
 偵察カメラ機器を製造した、小向工場の防衛機器関連職場は、いたって静かで、 普段と変わりなかった。訴訟について語る人も見られなかった。 (会社のかん口令がひかれているのかな?)

●東芝と防衛省のつながり
 東芝は三菱重工やIHIと同じように軍需産業のメーカである。 防衛省の幹部が東芝に天下るなどして、つながりは深い。

どうして訴訟まで起きたのか、不明なことばかりである。 こんご明らかになったことがあれば、随時お知らせします。
戦争のない平和な世界を願っている時代に、軍需産業はいかがなものかと 思います。
職場レポート

2011年11月27日

◆派遣社員や有期社員を正社員へ◆

 今年の株主総会で明るくする会が、派遣社員や有期社員を正社員に採用する よう質問をしたところ、会社から過去4年間で派遣社員、有期雇用社員を 1,200人したと回答がありました。

 そこで明るい会は、7〜10月にかけて東芝の事業所や工場で調査・確認をおこない ました。しかしその事例がつかめなかったのです。
いくつかの職場でキャリヤ採用で入社した例はありました。それは明るい会の いう「事務所や製造現場で働く、派遣社員や有期社員の正社員化」と意味合いが 違っていました。
会社は1,200人の採用の内容を説明すべきだと思います。
株主総会へ質問

2011年6月16日

第172期定時株主総会への文書質問
                2011年6月16日


●明るくする会の質問(要旨)
 職場には派遣社員が正社員と同等に仕事を行っています。しかしながらその身分は 極めて不安定であります。
派遣社員や有期雇用労働者の圧倒的な望みは東芝の正社員になることです。
派遣社員や有期社員を積極的に正社員へ採用すべきと考えます。

●会社の回答
 派遣社員、有期雇用社員について過去4年間で1,200人の正規従業員への採用を 行っております。今後も有期限社員については高度の能力のある人については 登用を行ってまいります。
職場レポート

2011年11月20日

◆仕事をしたいのに◆

 「仕事をさがすのが仕事なんですよ」 これまでコンピュータの設計をしてきた 50代の社員がつらそうに口をひらきました。20代のときからこれまで毎月40時間 を超える残業をして、仕事一筋に走り続けてきました。事業再編によって職場が なくなりました。
 20代、30代の若い社員は、すぐに新しい職場が見つかり移って行きました。 しかし50代の社員を引き取ってくれる職場がないのです。

 仕事が忙しい職場は、現状の人数で残業をして、仕事をこなしています。 人がほしくても人件費の制約で人を増やせないのです。
 
 働きたい社員がいるのに、人がほしい職場があるのに、人件費の枠(わく)が 決められているため、引き取れないという現実がありました。
     (事業再編となった携帯電話の職場や、パソコンの職場で聞いた話です。)

 会社も労働組合もワークライフバランスとか、ワークシェアリングとか言い ますが、実際は仕事をたくさん抱えていても、増員ができないのです。
職場レポート5

2011年4〜9月

◆派遣社員、製造請負会社との契約◆

 資材部で契約が行われる。契約期間は6カ月以内である。更新は必要に応じて行われる。 製造請負会社との契約の場合は、そこで働く労働者については、東芝は関知しない。
契約は競合見積りで行われるので、契約金額がたえず下がっていく結果になる。
職場レポート4-1

2011年4〜9月

◆事業の海外移転、多国籍企業化◆

 職場では日本語のほかに英語や中国語がごく普通に飛び交う。国際電話会議は 英語で行われる。中国人やインド人の社員が増えた。フィリピン工場から研修生 が来ている。

 パソコンは中国の杭州工場で製造される。ハードディスクはフィリピン工場と タイ工場で製造されている。

 コンピュータのソフトウェアの開発は、こんどベトナムで行うことになった。 そのためにベトナムに新会社を設立した。次はインドにソフトウェアの新会社を 設立する準備を進めている。その打ち合わせで課長がインドに出張している。

 ベトナムやインドに新会社を作ってソフトの開発を行うのは、人件費が安いの で開発費を節約できるからである。
職場レポート4-2

2011年4〜9月

◆海外投資の状況◆ 事業の海外移転、多国籍企業化の補足

●カザフスタン国営企業との合弁事業 2010年6月
 カザフスタン国立原子力センターとの覚書締結 2010年9月
●米国ウラン濃縮会社への投資 7500万ドル(役員派遣)
●ベトナムで東芝産業機器アジア社が操業開始 小型モータの生産
 社員140名 5年後500名の計画
●ブラジル研究機関と半導体設計合弁会社を設立 11年3月予定
 資本金400万ドル(約40億円)
●テレビ事業 アセアン、インドで販売拡大計画発表
 エジプトで合弁事業発表  2010年11月
●半導体事業再編 サムソン電子とシステムLSI事業提携発表
 長崎工場 ソニーに売却発表 2010年12月
●東芝メディカルシステムズ社 米国バイタル・イメージ社を買収合意
 約220億円 273万ドル
●米国バブコック&ウィルコックス社との火力発電事業での覚書締結
 2011年5月10日
 (インド、米国での市場開拓、次世代火力発電技術、太陽光発電技術の共同開発など)
●スイス ランディス・ギア社の株式買収契約
 (スマートグリッド・スマートコミュニティ事業)
 金額1863億円 人員5000名2011年5月19日
●マレーシアの電力流通システム機器製造販売会社買収(75%)
 人員200名 2011年6月8日
●ジェノバ市とのスマートシティに関する契約締結 アンサルドT&D社
 2011年6月9日
職場レポート3

2011年4〜9月

◆転勤、転籍、出向、解雇の常態化◆

 2009年10月東芝は富士通のハードディスク部門を買収した。その結果、富士通 の山形工場(山形県東根市)、川崎事業所(川崎市中原区)から、700人の労働者が 東京の東芝青梅工場に転籍してきた。家族を山形県に残しての単身赴任者が たくさんいた。
 そして2012年4月には、このハードディスク部門が東芝青梅工場(東京都青梅市) から東芝横浜事業所(神奈川県)、東芝大船事業所(神奈川県)に移転する。 約1,300人の労働者が転勤になる。

 2010年10月東芝は、東芝日野工場(東京日野市)の携帯電話事業を富士通に 譲渡した。東芝日野工場から300人の労働者が富士通の川崎事業所(川崎市中原区) に転籍した。残った300人の労働者は東芝青梅工場に転勤した。しかし40代50代の 労働者は引き取る職場がなくて、40人が新横浜の東芝研修センターに送られた。 (国鉄人活センターの東芝版)
東芝日野工場は閉鎖され売却される。

 東芝デジタルメディアエンジニアリング株式会社(東芝資本100%のグループ会社、 資本金5億円、社員数1,650名、東京都青梅市)は、コンピュータのハードウェア、 ソフトウェアの設計を行う会社である。コンピュータの製造が海外に移転するのに ともない、仕事がなくなり、たくさんの社員が出向を行っている。

 東芝コンピュータテクノロジー株式会社(東芝資本100%のグループ会社、 資本金1億円、社員数458名、東京都青梅市、パーソナルコンピュータの基板製造、 本体組立を行う会社)の社員は、4月から8月まで東芝キャリア社の富士工場 (静岡県)にエアコン製造で30名が出向した。10月からは東芝柏崎工場(新潟県) に数十名が出向する。
職場レポート2

2011年4〜9月

◆製造現場では◆

 パソコンや携帯電話の市場寿命は短い、新製品として売れるのは3カ月である。 6カ月で寿命はつきる。したがって一気に製造は行われる。垂直立ち上げと呼ば れる生産である。新製品発売日には、日本全国の販売店に必要数量を配備している。
 製造ラインでの試作期間はほとんどない。製造ラインに部品が投入されたら、 即量産である。製造ラインは24時間稼働となる。製造は、以前は正社員がおこ なっていたが、いまは製造請負会社が行っている。

 2011年7月にテレビ放送は地上デジタル放送になった。このためデジタル 放送用のテレビの製造する東芝深谷工場は、2010年は繁忙を極めた。24時間2交代 でフル稼働が続いた。製造請負会社は人手確保に奔走した。東京青梅市に大型バス が配車され、労働者を乗せて、圏央道→関越自動車道と高速道路を通行し1時間 以上もかけて、埼玉県深谷市の東芝深谷工場に労働者が送り込まれる。 夜間時間に製造ライン働く労働者の6割は外国人である。
 2011年3月東芝はテレビの製造を終了した。そこで働いていた製造請負会社の 社員は、全員解雇された。契約雇用期間の満期終了という手続きによってである。

 2011年3月東芝深谷工場でのテレビ製造の終了とともに、東芝は日本国内での テレビ製造から撤退した。こんご東芝のテレビは中国の工場で製造するのみである。
 以前は、東ヨーロッパのルーマニアでもテレビを製造していた。もっと前は (15年ほど前?)、パソコンの製造を米国とドイツでしていたが、すでに撤退している。
職場レポート1

2011年4〜9月

◆勤務時間◆

夕方17:00…終業のチャイムが鳴った。
(通常勤務時間は8:15〜17:00である。勤務はフレックス制、または裁量労働制)
 終業の17時に退社する労働者はいない。最低でも2時間の残業をする。7割の 労働者の退社時間は21時を過ぎる。22時を過ぎる労働者も2割前後になる。

朝8:15…始業チャイムが鳴った。
 この時間に出勤している労働者は1割程度で、職場はガラガラである。8割の 労働者が出勤してくるのは、朝の10時前後である。無理もない前日の勤務が 深夜までだからである。でも8:15から会議や打ち合わせがあるときは、みなさん 眠いのをがまんして出社してくる。みんな真面目である。

 労働者の月の残業時間は40〜80時間が普通である。60時間の労働者が一番多い。 100時間を超える労働者も5%はいる。仕事が多いからである。パソコンや携帯電話 の開発、設計は、ハードウェアにしてもソフトウェアにしても、機能ごとに分けて、 それぞれの部分を担当エンジニアが設計していく。

 新製品を作りあげる期間は6カ月である。各社で競争しているので、開発期間を 長くすることはできない。市場での売価との関係で開発設計費をかけられない。 だから開発人員を増やせない。慢性的な人手不足である。
設計費を抑えるため派遣労働者を使ったりする。
設計そのものを外に出す。ソフトウェアの設計は、このごろベトナムやインドに 出す量が増えた。職場では、日本語、英語、中国語が飛びかう。
職場報告の解説

2011年10月16日

職場報告の解説
       ・職場レポート
       ・非正規社員の実情調査
       ・成果主義賃金の実情調査

 ホームページに掲載した3つの職場報告は、2011年4〜9月にかけて、東芝の 職場を明るくする会が東芝の事業所、工場をルポルタージュして、そこで働く 労働者の証言やインタビューをまとめたものです。

 「非正規社員の実情」と「成果主義賃金の実情」は、東芝のどの職場でも同じような 状況でした。したがって職場の特定はしないで、どの職場にもあてはまると いうように理解して、お読みください。

 「職場レポート」は東芝本社、東芝府中事業所、東芝青梅事業所、東芝深谷事業所 などの、コンピュータ関連製品を作る職場の共通した実情と理解して、お読み ください。

 京浜事業所や浜川崎工場、府中事業所、小向工場などで発電機、電車、エレ ベータなどの製品を作っているいる職場は、コンピュータ関連職場とは実情が たいへん違っていました。四日市工場や三重工場など半導体を作っている職場は、 さらに違っていました。これらの職場のレポートは、またの機会にゆずりたい と思います。
                          東芝の職場を明るくする会
                             会長 石川 要二郎
非正規社員の実情調査1

2011年4〜9月

使い捨ての非正規社員

 東芝深谷工場では、昨年から今年初めにかけては、24時間稼働で地デジ 放送向けのテレビ生産を行いました。夜間の生産は製造請負会社の労働者が 行っていました。
 忙しい時期が過ぎると、製造ラインは休止して製造請負会社の労働者は、 解雇になりました。

 東芝青梅工場では4月からHDD(ハードディスク装置)の製造を海外に 移管し、そこで働いていた製造請負会社の労働者は、解雇になりました。
非正規社員の実情調査2

2011年4〜9月

正規も過重な転勤、出向

 正規規社員も例外ではありません。深谷工場(埼玉県)のテレビ事業で 働いていた社員は、青梅工場(東京都)に転勤になります。片道2時間以上 の通勤は過酷です。

 青梅工場でHDD事業で働いていた東芝グループ会社の社員は、いまは 富士工場(静岡県)で働いています。 「青梅に戻っても仕事はない」と いわれています。

 この数年間で青梅工場→日野工場→深谷工場→青梅工場と転勤をくり 返した社員もいます。
非正規社員の実情調査3

2011年4〜9月

仕事が決まらず研修所送り

 東芝日野工場(東京都)の携帯電話事業は昨年10月富士通に譲渡され ました。残された約300名の社員は、一人二人と広範囲に転勤をしています。
 まだ行き先の決まらない労働者のうち、30名が新横浜駅の近くの東芝 研修センターに送られています。

 また提示された転籍先が自分の条件と大きくかけ離れていたため、悩んで 病気になった社員もいます。やむなく退職していった社員もいました。
非正規社員の実情調査4

2011年4〜9月

東芝の人材と技術を
     自然エネルギー発電開発に

 原発事故を受けて、世界の流れは自然エネルギーの太陽光、風力、水力 などの利用する発電に向かっています。東芝がこれまでつちかってきた技術 を使えば、十分に開発と商用化が可能です。この事業を強化して、人材を 集め非正規、正規労働者の雇用を守りましょう。
成果主義賃金の実情調査1

2011年4〜9月

低賃金目的で裁量労働

 東芝府中工場、青梅工場などで勤務形態の変更が、あいついで行われました。 青梅工場のAさんは昨年までは毎月80〜100Hの残業を行っていました。 そのときの勤務形態は裁量労働制でした。そのため裁量労働手当が付くだけ でした。残業時間に換算すると40H弱です。
 Aさんは残業代がもらえるようにフレックス制を希望しましたが、上司から 「この職場は裁量労働制を勧めている」との説明で、変更されませんでした。

 今年になって、会社の方針で残業を0にすることになりました。そのとたん 4月からAさんの職場をはじめ、ほとんどの職場の勤務形態が裁量労働制から フレックス制に変更になりました。
成果主義賃金の実情調査2

2011年4〜9月

賃金格差の拡大

 成果主義賃金体系になってから、短期的な成果が求められ、上司の一方的な 評価で査定され、賃金が決められるようになりました。仲間同士が競争を させられ、職場から明るさが失われました。
成果主義賃金の実情調査3

2011年4〜9月

賃金査定に不満

 成果主義賃金になってから、目立つ仕事しかやりたがらない。職場の 掃除や、使用した機材のかたずけはやらない。目立たない仕事は、 まじめでおとなしい人に押し付けられる。などの弊害や不満が起きています。
 「自分の賃金は、正当に評価されていない」と本社勤務の30代女性が、 明るい会に相談をよせました。
成果主義賃金の実情調査4

2011年4〜9月

心の病増加

 成果主義賃金体系導入でうつ病などが増加しました。東芝は5月23日に 「メンタル不調者の職場復帰プログラム」を発表し、対策を強化しました。
 健康管理の根本対策は、成果主義賃金制度そのものの見直しです。労働組合も 主体的に改善にむけて取り組むことが求められています。
勤務形態の変更

2011年4月16日

残業ゼロだとフレックス制

東芝の社員から以下の話がよせられました。
 Aさんはこれまで裁量労働制で働いてきました。毎月裁量労働手当てとして、 残業時間換算で40H相当の金額が支給されていました。しかしAさんの毎月の 残業時間は80Hでした。

 こんど会社の指示で残業時間を0Hにすることになりました。同時に勤務形態 もフレックス制になりました。フレックス制には手当てがありません。残業した 分の残業代が支払われるだけです。

 Aさんと同じような話は、他の職場の社員からもよせられています。 明らかになってきたことは、裁量労働制もフレックス制も、会社の都合のよい ように作られた勤務形態ということです。
震災

2011年3月21日
 2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震で、首都圏は電車の運行が止まり、  多くの労働者が帰宅できない状態になりました。そのときの職場の様子を聞きました。

 東芝の本社、工場、事業所では従業員の安全を図る処置がとられました。
本社では、帰宅できない従業員を翌朝まで、自分の職場(各階)で待機、休息させました。 ペットボトル入り飲料水の支給も行われました。
 青梅事業所では、帰宅できない従業員のため職場や、従業員クラブ青和荘が開放されました。  毛布の貸し出し、非常食、飲料水の支給も行われました。
 浜川崎工場では、工場内に待機していた従業員に翌朝、朝食を出しました。

 まず人の安全が第一で、適切に対応することが基本です。一部の事業場・職場では、  公共交通網の運行状況のお知らせ、自宅が遠隔地の従業員への対応などで、不十分  なところがありました。改善を望みます。
2011年3月20日 3月11日に発生した東日本大震災で、被災されたみなさんに
心からのお見舞いを申し上げます。

              東芝の職場を明るくする会
                 会長 石川 要二郎
深谷工場閑散

2011年3月13日

液晶テレビ減産
      製造請負会社の労働者 解雇


 7月から始まる地上放送デジタル化に向けて続いていた液晶テレビの増産も、ピークが 過ぎました。製造ラインの24時間フル稼働も止まり、夜勤がなくなりました。

 製造請負会社は労働者の解雇を行いました。製造請負会社も東芝も、「期間契約の契約が 切れたのだから問題ない」と言いますが、労働者は、「継続して働きたい。」「正社員と して働きたい。」と強い思いを持っています。

 解雇された労働者から、東芝の職場を明るくする会に相談がよせられました。 「会社の都合で簡単に解雇されるのは耐えられない。」と訴えています。
 明るくする会は、相談をよせてきた労働者と一緒に労働基準監督署や関係労働組合を たずね、解決のために話し合いを行っています。
春闘

2011年2月27日

生活はたいへん。賃金は上がってほしい。
        職場の声を聞いてみました。

・収入が減りました。生活をどう切り詰めるか、困っています。
・マンションのローンがあって、ボーナス時払いもあり、たいへんです。
・業務は品質担当です。人が足りなくて、仕事はたまる一方でたいへんです。 人をなんとかしてほしい。
・雇用延長をして働いています。ここ何回も上司から呼び出しがあります。 体調は良いのに、健康かと聞かれます。退職を勧められているのかな?
・春闘といわれても、入社してから一度も闘いの経験がないから、よく分からない(30代)。
携帯電話事業2

2011年2月1日

新職場でがんばっています!

 携帯電話事業を富士通に売却して4ヶ月がたちました。東芝日野工場(東京都日野市) から400人以上の人が、新会社…富士通東芝モバイルコミュニケーションズ(川崎市、 最寄駅 南武線 武蔵中原駅)に通勤して働いています。

東芝時代と比べて変わったことを聞いてみました。
@出社時間
 勤務はフレックス制ですが(8:55〜17:40)、午前中はコアタイム(拘束時間帯) なので、朝の8:55までに出社しなければならないこと。
東芝のときは、コアタイムが11:15〜だったので、前夜遅くまで残業したら、 体調管理のため10時ごろの出社にしていた。

A出勤・退勤時間の記録方法
 東芝では出勤して自席のパソコンの電源を入れれば出勤になり、電源を切るまで 勤務と自動記録された。
富士通では個人に渡された社員カードを、出退勤レコーダーに読ませて記録する 方式です。この方式は、以前東芝でも使っていましたが、退勤記録をしてから サービス残業をするという問題があって、東芝では廃止されました。

B社員食堂の価格が高い
 ランチ定食700円のメニューがあってびっくり。うどんが350円です。
東芝日野工場の2〜5割高です。

通勤時間が長くなってたいへんですが、新しい職場で頑張っています。