●全住民が避難した
−大熊町、双葉町− 現地調査報告の4回目
国道6号線を北上して福島第一原発立地町の大熊町、双葉町に入りました。
車での通り抜けのみが認められていました。
駐停車、および国道本線を外れた道路・施設への立ち入りは禁止されていました。
大熊町、双葉町とも全住民が避難したままです。
住宅も田畑も荒れたままでした。
放射性廃棄物の中間貯蔵施設が設置され、町民の帰還はいっそう困難になっています。
(東日本大震災・福島第一原発事故から7年2ヶ月)
@大熊町の標識と双葉町へ9kmの道路案内
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A建物に書かれた「おおくま町」の文字
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B大熊町の帰還困難地域1
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C大熊町の帰還困難地域2
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D荒れ果てた田畑
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E何台もの廃棄物運搬車
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F双葉町の放射線量を示す電光掲示板(3.0 μSV)
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G遠くに福島第一原発が見えます
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●帰還困難区域と居住制限区域で分断の町
−富岡町− 現地調査報告の3回目
桜で有名な、夜の森(よのもり)の桜通りにも人影はありません。
夜の森(よのもり)地区も、道路を境に帰還困難区域と居住制限区域に分けられていました。
帰還困難区域は、金属製のフェンスが張られて、入れないようになっています。
近くの富岡第二中学校は、校門前の石碑は雑草に覆われ、廃校状態になっていました。
2018年1月末時点の帰還者は429人(3.2%)です。
(東日本大震災・福島第一原発事故から7年2ヶ月)
@富岡駅前通り
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A帰還困難地区の建物
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B富岡駅前の放置された病院
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C黒いフレコンバックの置き場
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D放射線量を示す電光掲示板(富岡町を走る常磐道)
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原発事故で非難した先が、最も放射能汚染された所だった
−浪江町− 現地調査報告の2回目
東日本大震災・福島第一原発事故から8年2ヶ月、東芝の職場を明るくする会の現地調査報告の2回目です。
第一原発は、下記の時間に水素爆発を起こしました。
1号機…2011年3月12日15時36分
3号機…2011年3月14日11時01分
4号機…2011年3月15日06時14分
浪江町の全町民2万人は非難を行いました。
避難先は第一原発から最も離れる、町の西部の島津地域でした。
ところがそこは町内で最も放射線量が高かったのです。
水素爆発で発生した放射能は、風によって島津地域に降り注いでいたのです。
放射能の流れを国は隠していました。
町長は「国を殺人罪で訴えたいほど」と語ったそうです。
2018年1月末の帰還者は490人(2.7%)です。
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今回の調査で、お話をお聞きした住民の方の中に、津波に襲われた海岸で、ハマボウフウ(浜ぼうふう)を拾われ、
現在それを育てている方がおりました。
●ハマボウフウ(浜ぼうふう)…セリ科の多年草で、初夏に白い花を咲かせる。
海岸の砂地に自生する。
食用および薬用。
ハマボウフウの写真1、2、3を参照ください。
明るい会では、そのハマボウフウの種をいただいてきました。
東日本大震災・福島第一原発事故を忘れないため、ハマボウフウを育てることにしました。
ご協力いただける方がおりましたら、明るい会までご連絡ください。
種をお送りします。
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東日本大震災・福島第一原発事故から7年
−原発周辺地域は、田んぼが雑草・雑木で荒廃− 現地調査報告の1回目
2011年3月11日に発生した東日本大震災・福島第一原発事故から7年2ヶ月が経ちました。
東芝の職場を明るくする会は、5月下旬 福島第一原子力発電所周辺地域の現状調査を行いました。
調査を行った地域は、下記のとおりです。
・南相馬市
・浪江町
・双葉町(福島第一原発立地町)
・大熊町(福島第一原発立地町)
・富岡町
・楢葉町
・広野町
・いわき市
住民の方から、原発が水素爆発を起こした時の、緊迫した非難の様子のお話もお聞きしました。
また、放射能による健康被害を心配しながら生活されているとの、お話もありました。
現地を見て心を痛めたのは、田んぼが耕作できないため放置され、雑草に覆われていることです。
場所によっては雑木も生えてしまっていました。
再び田んぼに戻すのは、困難になっています。
5月の新緑で町も丘も、山も美しく染まっていました。
その緑色の風景の中に、除染で取り除いた表土や草木を入れた「フレコンバッグ」
の黒い袋の野積みが、あちこちに置かれていて、緑と黒の異様な光景です。
町には人の姿がありません(見かけません)。
富岡町では「富岡町民憲章」のカンバン
(写真参照)が立っていました。
それには「子供をみつめ、延びゆく力を育てましょう」と書かれていました。
富岡町では、原発事故前は小中学校が4校あり、1,487人の生徒が通学していました。
2018年4月時点では小中学校が1校(同じ校舎で)になり、生徒数はたったの17人とのことでした。
福島第一原子力発電所の入り口に向かう道路を、
「TOSHIBA」の赤いロゴマークを付けた白色の大型バス(東芝バス)が走っていました。
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