[職場だより]  2017年10月01日 上司にモノが言えない社風を作った(3)
                 −東芝の労務管理と秘密組織「扇会」の検証(3)−
 「扇会」に入って、労働者の言動を監視して、自主的に労働運動をする労働者を、 労働組合の役員、代議員、職場委員から排除する活動をすれば、賃金の昇給、 社員資格の昇格などを良くする、早くするという労務管理は、社会的道議からみても異常です。  そのためトラブルも起きました。
 扇会のメンバーのKBさんが、不満をTさんに漏らしました。  「お○○さんは扇会(員)だ。部長になったのは(なっとくできない)おかしいだろう。」  不満の内容を要約すると、お○○さんは、そう仕事ができるわけでもないのに、  扇会の活動も、ほかの扇会員と比べて少ないのに、勤労課にうまく取り入って部長になった。 (俺だけでなく)ほかの扇会員からも不満がでているということです。
 東芝青梅工場では、1970年代に扇会の監視対象にされた労働者は100名近くにのぼりました。  当時扇会が作成した監視対象者リストを、Tさんに見てもらうと半数の約50名は知らない人達でした。  労働組合の代議員、職場委員でもありません。  扇会の活動は、エスカレートして行き、民主的な会話をした労働者、 扇会メンバーが気に入らない労働者なども、監視対象者にしていったのです。  (後で分かったことですが)人権侵害の事件も起きました。1975年前後のころです。
 当時職場委員をしていたUさんは、扇会に監視されていることに気付きました。  そこで身を守るために、手帳の所有者欄はペンネームで○○川と書いていました。  その手帳が扇会に盗み見、盗み読みされたのです。  Uさんの話によると、寮の部屋に置いてあるときか、 会社の更衣室のロッカーに置いてある時ではないかとのことです。
 問題はそこで起こりました。ペンネームに使った「○○川」という名前の方が、 青梅工場に実在されていました。  Uさんの手帳を盗み見、盗み読みした扇会員が、勤労課に報告を上げて行く過程で、 手帳の所有者が間違われて、実在の「○○川」さんになってしまったのです。  ○○川さんは勤労課に呼び出され、手帳に記載された内容について聞かれました。  もちろん○○川さんは「知らないし、分からない」と答えました。  呼び出しは何度も行われました。  勤労課の不当、不法な行為は○○川さんを深く傷付けました。  しばらくして○○川さんは東芝を退職しました。
 監視社会が生み出した、許すことのできない事件です。
東芝の職場を明るくする会
連絡先  メール akaruku-tsb@kki.ne.jp